今日も元気に楽しく生きています\(^o^)/
最近は、ボランティアのみんなで滝を見に行ったり
ウガンダの教会に連れて行ってもらったり
とウガンダを満喫しております♬
こないだからずーっと考えていた「格差」の問題関してひたすら
考えてたくさんの方にいただいたヒントも参考にさせていただき
自分なりに漠然とですが答えが出ました。
とりあえず焦点を何かを求められたときに
「あげるべきか、あげないべきか」
というところにおきました。
結論から言うと「あげる」
この結論に至るまでにいろんなことを考えました。
●その人が何かを売ったり、自分に何かをしてくれた上で「労働対価」としては
お金を渡してもいいんじゃないか。
●手を差し伸べることは簡単かもしれない。でもそうしてしまったら依存し続けないと
生きていけない、自立出来ない状態を作ってしまうんじゃないか。
そんなことを考えているときにふと思ったのは
「自分は生きることに必死になったことあったかなぁ」
ということ。
今まで1度も明日食べるご飯がない。水がない。
明日生きてとるかさえもわからへん。
こんな状況に私はなったことも、正直考えたことさせもありません。
だからどんな思いで「Give me money」「Give me food」って言ってるか
わかりません。
でも、きっとただただ生きることに「必死」やからこそ精一杯「生きよう」と
するからこそそう言うんじゃないか。と思いました。
そう考えたときに
自分が何かを渡すことでその人は少しでも長く生きられるかもしれへん。
やったらそれでも依存し続けながらでも生きていけるならいいんじゃない?
「命に繋がるならいいやん!!!」
だってそもそもまず今そこに自立できるシステムってないんちゃうん?
誰かに頼って、依存していくしか方法ってないんかもしれん!
そう思いました。
根本的な問題は、政治とか経済とかいろいろ絡んでくると思います。
でもそれらが明日生きるためのごはんをくれるわけじゃありません。
じゃあ少しでも命に繋がるなら、自分になにかできるのならするべきじゃないのか。
ということから「あげる」という結論に至りました。
でも、自分の中でこの答えが出ても、なぜかしっくりこず
ほんまにこの答えで納得なんか。ということを思っていました。
そもそもじゃあなんで「あげるべきじゃないんか」ということを
考えたときにふと両親のことを思い、
そう言えばお父さんとお母さんって私にはかりしれへんほどの愛を
無償でくれて、見返りなんて求めへんよなぁ。
「ん!?」
「これやんっっ!!!!!!!」
って思いました。
お金をお金としてあげるから迷うんやん!
あくまでもお金は愛を与える、表現する「ツール」にしかすぎひんやん!
そこに「愛」があるなら戸惑うことなんてないやん!
そう思いました。
「何かちょうだい。」
って言うのは必死に生きようとしているから。
お金は愛を表現する「ツール」にしかすぎない。
【結局世界に必要なんは愛や!!!】
これがわたしの出した答えです。
愛だけじゃ生きていけないのはわかってます。
でも物はお金で買えるけど、愛はお金で買えません。
特に慈愛のような愛は。
この答えを出せた自分には満足です。
少なくとも今は。笑
また考えていくうちに新しい答えがでるかもしれませんが。笑
あと読みながら思われた方も多いと思いますが
何にも持ってなくて、売ってもなくてただただ
「ちょうだい」って言う人にもあげるん?
いっぱいおったらどうするん?全員にあげるん?
全部買うん?必要もないのに同情で買うん?
これらに関してはまだ答えを出せていません。
これからまたじっくり考えていくつもりです。
最近は、手を差し伸べ続けることによって
自立できない状態を作ってしまっているのではないか。
ということを悩んでいますw
ウガンダにいると普段いかに頭をつかっていなかったかと
いうことを痛感します。
でも、これを読まれて海外におるからそんなこと考えれるんやん。
日本におったら全然そんなこと考えるきっかけないわぁ。
って思われた方がいたら、それは少し違うかと思います。
私は海外一人旅をしたときに、今まで環境に甘えとったな。
って強く感じました。
自分が慣れた土地で、環境に甘えて単に考えるのをさぼってただけ。
日本でも問題は多くあります。日本のいいところも本当にいっぱいあると思います。
それに気づいてなかったのは、外の世界を知らなかったこともありますが
自分がいる環境を当たり前に感じて、自分が疑問に感じることを
してこなかったからだと思いました。
生意気ですが、疑問に思うこと。環境にいい意味で慣れてしまわないこと。
って重要だと思います。
その上で外の世界を知って、外からの日本を知るのは
大きな経験で財産になると思います。
長々と書きましてすみません。
最後までお読みいただきましてありがとうございます^^
また滝や教会のことについても
更新したいと思います^^
では明日からまた1週間頑張りましょう\(^o^)/
今日から7月ですね\(^o^)/
毎日暑い日差しと日焼けと闘いながら今日も
元気に生きている國政です!!
今日も本当は木曜日の朝まで村に行く予定でしたが
まさかのウガンダ全体で"マタトゥ"と呼ばれるタクシーの
運転手さんがストライキを起こしているらしく、
ストライキに参加していないドライバーが被害にあっているらしく
マタトゥで移動するのは危険ということで急遽村に行くことは
中止になりました。
明日また様子を見て落ち着いたようであれば村に行く予定です^^
私の村でのお仕事は、赤ちゃんやそのお母さんの体重や腕の太さを
測って栄養を管理するプログラムのお手伝いをこんな感じでしています。

このプログラムは毎週火曜日の午前だけ行われています。
このプログラムに参加するために、お母さんは赤ちゃんを背負って
歩いてきています。
遠い人で1時間ほど歩いて参加しているようです。
今回は村で見て、体験して、感じたことに関して最近ずーっと考えていたことが
あるので今日はそれについて書きます。
少し長いですが、自分なりに最近ずっと考えていることで
これを読まれて、思われたことやアドバイスなどがありましたら
ぜひコメントお願いします!
みなさんは日本にいて見知らぬ人に
こんなような言葉を言われたことがありますか?
また言ったことがありますか?
「お金ちょうだい。」
ってこれは村に行くと子供たちによく言われる言葉です。
これを初めて言われたのは、一番仲良くしてくれている6歳の女の子でした。
これを言われた時はただびっくりしました。
「ただただ自分は友達やと思っとるからもっと仲良くしたい。一緒に遊びたいだけやのに」
っていろいろ考えているうちにとてもショックを受けました。
こないだは、ある男の人が赤ちゃんを見ながら
「君はこの子に何をあげるの?靴?服?何?」
って言われたました。
これを言われた時には、あまりにも驚いたのと同時に本当にショックでした。
その人がこそう言ったのもこれまでのボランティアが今までのお礼や、
使わなくなったものなどをあげてきたからそう言ったのかもしれません。
でも本当ににびっくりでショックで私はその時何にも言えませんでした。
こういうことに関して、今まで行った途上国とかで実際に見て、経験して
いろんな人ともこういうことに関して話したりして、自分なりに今までに考えてきて
答えを出しました。
でもウガンダに来てそれが本当にに正しいのかがわからなくなりました。
人はそれぞれ考えを持っているし、答えは一つではないと思うけど、
今自分がどうすべきなのか一気にわからなくなりました。
村にはガスも水道も電気もなく、飲み水さえもきれいな水を飲めません。
当然のように私らボランティアは街で買ってきたミネラルウォーターを飲んで、
栄養のある野菜を使って料理して、穴の開いていない服を着ています。
自分たちが外国人で、明らかに自分の方が豊かな生活をしてるのは明らかです。
お金や物をあげることによって、その人たちがそれに頼るようになって
働かなくなるような状況を作ってはいけない。
その時のことだけではなくて、その人たちの生活の先を見据えて
責任を持った行動をしないといけない。と今まで思ってきました。
今までいくつかの国に行って、そういう場面を見てきたけど旅行だったから
同じ人に2回会うことはなかなかなく、だからこそこの考えを持っていたと思います。
でもこれから半年以上自分が同じ地域にいて、この人たちと付き合っていく。
って考えるとどうすべきなのかさらにわからなくなりました。
自分の友達が目の前で困っていたら、間違いなく助けると思います。
でもじゃあどうして村に住んでる人たちはなんで助けられないんでしょう。
ある私の尊敬する先輩とこのようなことについて話した時、
「自分が与えられるものを持ってて、欲してる人がいるなら与えればいいと思う。」
その人はこう言いました。
たしかに自分にできることがあるならすべきだと思います。
でも村に住んでるのは当然ひとりじゃありません。
子供だけでも300人くらいはいます。
一人だけ助けるわけにもいかないし、全員なんて助けきれません。
ってことさえ思っている自分もおかしいかもしれない。
でも明らかに自分の方が豊かな生活をしているのは一目瞭然なのに助けきれない。
ってやっぱおかしいんじゃないだろうか。
そもそも何を持って「助ける」というのか、
「助ける」って考えてる事態違うんじゃないか。
こういうようなことを最近ずーっと考えています。
「自分が出来ることで、村の人が喜ぶことは何やろう。」
と考えた結果、
写真をプレゼントすることです。
私は写真を撮るのが好きで、村の人も写真が好き。
村の人は写真を撮るだけでも本当に喜んでくれて、
印刷して渡すともうたまらなく喜んでくれます。
これなら自分の好きなことで相手を笑顔にすることが出来ると思ったし、
村の人ひとりずつに渡すことが出来、形にも残ります。
これが今回私が出した答えです。
もっとこういうこともできるんじゃない?
こうしたほうがもっといいと思う!
それはあんまりよくないとおもう!
とかこれに関して少しでも何か思わた方は
コメントをいただけると嬉しいです!
よろしくお願いします。
ではではまた更新したいと思います^^
おやすみなさい♬
今日も元気に生きています、國政です^^
タイトルにしたルガンダ語のオリオーティャというのは、
How are you?や日本ではこんにちは。っていうような意味です。
ウガンダの人たちは、友人などに出会ったときに必ず声を掛けて、
オリオーティャ!と言いながら握手をします。
日本にいたときには、みんなに声を掛けたり、増してや
握手をして挨拶をすることはほとんどありません。
日本を否定するわけではないけど、握手をして目を見て
しっかり挨拶をするのはとてもいい文化だと思います^^
今週は月曜日から水曜日の夜までジンジャから3時間ほど
離れた村に行ってきました。
ボランティアの私たちはハットと呼ばれるこの建物に泊まります。

これはトイレ。
中はもちろん水洗ではなく、真ん中に穴があいており
ぼっとん便所のようになっています。

これはシャワールーム。
タンクに入っている水をたらいにうつし、少しずつコップに
くんで使います。

村には、水道も電気もガスもありません。
子供たちが誘ってくれて私も一緒に水を汲みに行きましたが
行きは30分ほどかけ近くのヴィクトリア湖まで行き、
帰りは7,8キロほどあるかと思われる水を持って
休みながら40分ほどかけて家まで戻ります。
私を誘ってくれたのは6歳の女の子と8歳の男の子。
私が一緒に行ったのはたった1回。
これを1日に何度も水を汲みに行き、それを毎日繰り返していることを
考えると相当な重労働です。
改めて蛇口をひねると水はもちろん温かいお湯まで出るありがたさを感じました。
ご飯はみんなで火を起こして料理をしています。
村に行く前は、少し不安もありましたが
行ってみると毎日がキャンプみたいで楽しいです^^
ウガンダでの生活はほんとに毎日新鮮です!
伝えたいことがたくさんあるので少しずつ
書いていきたいと思います(^O^)
タイトルにしたルガンダ語のオリオーティャというのは、
How are you?や日本ではこんにちは。っていうような意味です。
ウガンダの人たちは、友人などに出会ったときに必ず声を掛けて、
オリオーティャ!と言いながら握手をします。
日本にいたときには、みんなに声を掛けたり、増してや
握手をして挨拶をすることはほとんどありません。
日本を否定するわけではないけど、握手をして目を見て
しっかり挨拶をするのはとてもいい文化だと思います^^
今週は月曜日から水曜日の夜までジンジャから3時間ほど
離れた村に行ってきました。
ボランティアの私たちはハットと呼ばれるこの建物に泊まります。

これはトイレ。
中はもちろん水洗ではなく、真ん中に穴があいており
ぼっとん便所のようになっています。

これはシャワールーム。
タンクに入っている水をたらいにうつし、少しずつコップに
くんで使います。

村には、水道も電気もガスもありません。
子供たちが誘ってくれて私も一緒に水を汲みに行きましたが
行きは30分ほどかけ近くのヴィクトリア湖まで行き、
帰りは7,8キロほどあるかと思われる水を持って
休みながら40分ほどかけて家まで戻ります。
私を誘ってくれたのは6歳の女の子と8歳の男の子。
私が一緒に行ったのはたった1回。
これを1日に何度も水を汲みに行き、それを毎日繰り返していることを
考えると相当な重労働です。
改めて蛇口をひねると水はもちろん温かいお湯まで出るありがたさを感じました。
ご飯はみんなで火を起こして料理をしています。
村に行く前は、少し不安もありましたが
行ってみると毎日がキャンプみたいで楽しいです^^
ウガンダでの生活はほんとに毎日新鮮です!
伝えたいことがたくさんあるので少しずつ
書いていきたいと思います(^O^)