前回のブログでは病を告知されたとき
「この身体で、この世をもう味わえなくなるのか」
という思いが湧いたことについて話ました。
今回はその感覚を
もう少し深いところから見てみます。
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私が特に惹かれるのは
静止した美ではなく
移ろい続ける美です。
子どもの頃、国語の授業でこう教わりました。
冬の枯れ木の桜の幹の中は
ピンクで
花が咲いているときの幹の中は
もう葉の緑なのだと!
次の季節が 桜の内側で すでに宿っている。
( 大岡信「言葉の力」)
真冬の枯れ木は一見すると何もない。
でもその細い枝の先に
すでに次の春が宿っています。
やがて硬い蕾がほころび
一斉に花が咲いて、風に散っていく。
夏はギラギラとした夏の陽を受け
桜の葉は青青と育っていく
秋に葉は赤や黄に変わり
やがて静かに散っていく。
そしてその落ち葉は土になり
また次の生命の糧になる。
命は巡り、命は還る。
この巡り、循環が大好きなのです。
この流れを思うとき
単なる感傷ではなく
深いところで
「そうか、そういうことか」という
納得があります。
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東洋哲学に「縁起」という概念があります。
すべての存在は
他との関係の中にのみ
成り立つという考え方です。
龍樹が体系化した
「空」の思想もここにつながります。
固定した実体などなく
すべては関係と流れの中にある
ということです。
今の私を形造っている
原子のひとつひとつは
かつて地球のどこかで
あるいは宇宙のどこかで
まったく別の何かを形造っていた。
そしていつか
また別の何かになっていく。
なんだか
「大きな懐に抱かれて 今この命をしている」
という感覚が湧いてきます。
自分という固定した輪郭が
溶けるような感覚。
それでも今わたしとして
今、ここにいる。
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命は有限です。
でも「いつか終わる」とわかっているから
今この瞬間の感覚が際立ちます。
落ち葉が土に還るように
命の循環の中に還っていく。
それを知ったとき
死はただの終わりではなくなり
巡りの一部になりました。
すったもんだの日々があっても
この世界に物体として在ることが
私の喜び。
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今日もお読みいただきありがとうございました。
写真は大好きな富士山🗻
あの富士山に積もっている雪は
いつか私の身体を通った水(原子)かもしれない
そう思うと感動なのです、、、✨
