星や太陽の位置など、スターナビゲーションという
自然の知識を頼りにする伝統航海術で旅をする
ホクレア号。
その昔、日本に航海に出た時、私もJ-waveで取材を
させていただき、それ以来ホクレア号の行方をずっと
応援してきました。
3年前、なんと世界一周の旅に出たホクレア号。
昨日、無事にハワイに帰還し、私の住んでいる家の
近くにホクレア号が戻ってくる様子を
この目で見ることができて、とにかく感動、
歴史的瞬間でした。
その日、ポリネシア航海協会の会長である
ナイノア・トンプソンが帰還スピーチを行い、
セレモニーが行われたのですが、
その内容がとてもリアルで、
大変考えさせられました。
ナイノアの妻であり、テレビ局KHONのキャスター、
キャシー・ムネノがその日、ホクレアの特番で
その様子をレポートしていたのですが、その特番も
さすが一番ナイノアの近くにいた人のレポートなので
素晴らしかったです。
航海で疲れ果てたナイノアが思いつきで色々語っていた
スピーチ、いろんな人に知ってもらいたいと
思ったので、スピーチの内容を要約したものをアップします。
<ナイノア・トンプソンの帰還スピーチ>
ホクレア号に関わった全クルーの代わりに
僕はここに今、立っている。
若者たちよ。
どれだけ危険だかわかっていたけど、
投資と思って旅に参加してほしいと頼んだ。
僕たちが素晴らしい過去のナビゲーターたちから
学んだことを伝承しなければいけなかったから。
僕らのこの世の時間は限られているから。
僕らだって怖かった。
エディ。
彼が勇気をくれた。
エディはきてくれた。
全航海の中で最も重要なクルーメンバーだった。
僕は不十分過ぎて
僕じゃダメだった
君への感謝の気持ちを
今更どう伝えるべきか
気持ちがまとまらなくて
リーダーシップについても考えさせられた
ホクレア号はもう古いのか
21世紀、もう人々がどうでもいいと
思っていることなのか
それでも若者たちを借りて
海へ連れ出し
必ず戻ってくると約束するけど
それで本当にいいのか
永遠の問いかけだ
多くの出迎えに感謝している
でも、橋かけは難しい
僕らは橋かけを常にしているんだ
25日前、電話が鳴った
すぐにハワイに戻ってきなさいと
ホスピスの一室にたどり着いた
冷たい部屋だった
ナースは、
もう遅すぎて意識がなくて
反応できない状態ですと言った
二人だけにしてくれとお願いし
僕は椅子に座った
PVSの創立者、ベン・フィニーの
手を握った
『ヘイ、ベン、今、子供達が海に出てるんだよ。
タヒチからハワイに戻ってくるんだよ』
すると、ベンは僕の手をぎゅっと握った
意識がないはずの彼が
1958年、ハワイ大学の誰だか知らない女性が
突然、電話してきたんだ
その話を聞いた教授は、
航海術のこの本は間違ってるよ
訂正しないとだよと伝えた
ハーブ・カネがカヌーを作るということを知った
でも、それはハワイでのことじゃなかった
カメハメハスクールでは子供を叩いたりするんだ
子供達は、自分たちの先祖のことを知らない
ハワイはどうなっている?
なんで知らないんだ?
カネやフィニーたちはカヌーを作って
僕らに提供していった
これで何をすりゃいいんだ?って考えた
ホクレアのミラクルは他にもあった
ポリネシアにナビゲーターが見つからなかった
でもミクロネシアに見つかった
たったの6人
一番当時若かったナビゲーターが
助けてくれることになった
たまに、10年ー20年待ったら
ホクレア号はどうなっていただろうってよく考える
これも、ナビゲーターのおかげだ
このカヌーが全てを変えてしまうから
脅威だと思われていたり
リーダーシップについて激しい論争もあった
でも僕らは海で死んでもいいという気持ちで
訓練を受けた
僕にとっての最大のナビゲーターは父親だ
貧困で育った
子供で溢れる家に帰ってきて
父は全員の名前さえ覚えてなかった
僕らは、ご飯もろくにたべれなかった
ハワイではハナイという血縁関係のない人も
家族だったから、家には常に人がたくさんいた
水とグアバだけという日もあった
無視され虐待を受けてる子供の
儚い美しさを考えてほしい
戦争で多くの人間が死んだ
ドイツのスナイパーに父は銃で撃たれた
自分の信じることに対して立ち上がることを
教えてくれた
銃の弾は、父の頭を直撃し、片目が吹っ飛び
鼻から弾が出てきて
半分の頭蓋骨はぐちゃぐちゃだった
2年間、包帯で固定されていた
でも父親は
『ナイノア、暗闇しか見えない時に
初めて自分のビジョンが見えたんだ。
なんのために自分が立ち上がるのか、
責任が明確になったんだ』と言った
ホクレア号に関わるようになって
辛い時も讃えていくことが多々ある
エディの事だ
カヌーがひっくり返った状態が
ずっと続いているなんて
誰も知らなかった
世界で最も素晴らしいウォーターマン
エディ・アイカウ
風が強すぎて隣の人に話すことさえ
難しい状況だった
いつ風で飛ばされてもおかしくない状況だった
いつ誰が死んでもおかしくなかった
エディは行かせてくれと頼んだ
太陽が昇ってきて
キャプテンは
ダメだ。船に残れと言った。
でもエディは行くと決めて、
ライフジャケットにいくつかの
オレンジと、ポイの入った袋を入れて
行くと言った
弟のクライドも見てた
それが最後だった
彼は行かなければダメだった
先祖のためにも
そして、カヌーが光そのものだったから
光を取り戻すために、
子供に引き継ぐため
行かなければいけなかった
オアフ島もラナイ島も
船からは一切見えなかった
エディは視力も良くなかった
何かのために立ち向かうということ
エディは、自分で見えもしない
場所の確認もできないような場所へ
助けを求めて向かおうと泳いでいった
それは本当の勇気だ
何かを心から信じていれば
正義のために
ポノ(平和)のために
勇気を奮い起こすべきだ
ハワイは宇宙飛行士や、冒険家や
革命家をたくさん産んできた
だけど、それだけ自分たちがインテリで
なんでもできるくせに
どうして子供達の将来がリスクだらけなんだ
宇宙から見た地球は綺麗だという
でもどんどん人間が地球を変えている
人は状況を知らなければ、どうでもいいと思う
どうでもいいから、変えようとしない
そして、いざ変えようとしても一人じゃできない
だからホクレアは行かなければいけなかった
この地球を見てこないといけなかった
ビジョンはわかっていたけど
リスクが凄すぎた
1992年はサステイナブルなんて言葉を
誰も知らなかった
やっと環境問題について話すようになってきた
パシフィックアイランドは
環境汚染をスピードアップはしないけれど
多分、どこよりも早く影響を受けるのが
僕たちの住む島々だ
やっと状況がわかってきたから
世界に行くべきじゃないか?って話しだした
でも、最大の問題は、リスクだった
危険なのはハリケーンか?海賊か?
アフリカか?病気か?
いや、そうじゃない
知識がないこと、
そして何より行動を起こさないこと、
それが一番危険なことだ
だからホクレアは行った
僕の息子と娘は5歳だった
父親がなんで3年いなくなるのか
なんのために行くのか
父親は戦士の息子だから
いつかわかる日がくると説得したけど
行かせてくれて
ありがとう
クルーメンバー
みんな
呼吸することさえリスクだった
なんだかこのスピーチ、
僕は、ただベラベラ喋って
感謝をいううべき人たちの名前も
ろくに言えてなくて
疲れ果てているけど
みんなに行くって約束したから
行ったんだ
シャツをガシッと掴まれて
あんたのカヌーでもないくせに
ホクレア号を世界に連れて行くなと
おばさんに怒鳴られたこともあった
あんたには権利がないと言われた
あんたは死んでもいいけど
カヌーに何かがあったら
我々の子供達のカヌーなんだから
ふざけるなと言われた
だからアフリカの人たちには感謝だ
死んでもおかしくない状況で
生きる知恵を教えてくれた
ワシントンのオフィスで2晩寝て
やっぱり行くからって説得したこともあった
子供達のために行くんだからって
ホクレア号は戻ってきた
ホクレア号を見てほしい
3年の間、大切にしてきた
でも壊れている場所はある
でもキャプテンが大切にしてきてくれた
ブルース。
ありがとう。
<このスピーチの内容は全部正確に訳したものではなく、
私的に響いた場所を主に、訳したものですのでご了承を>

