もう子どもたちも大きくなってきたので、週末や休み中などは、ほとんど友達と遊ぶ。

 

そのたびに、送り迎えをしないといけない、、、というのは、まあいいとしてもにひひ、気になるのは、子供同士で約束してくるのではなく、いつもママからお誘いが来る事だ。

 

そしてマレーシアのように車がないとどこにも移動できない、子どもだけで連れ立って遊べる環境ではない、という場合、親が子どもの遊び、交友関係に関わりすぎる傾向がある。

 

私の子ども時代などは、本当に自由だった。

 

学校も一人で歩いて登下校したし、放課後は大抵友達と連れ立って、特に親に断りを入れることもなく自転車に乗ってお互いの家に遊びに行ったり、みんなで近所の公園でドロケイやゴム飛びをして遊んだ。

 

当時は携帯電話もないし、親は放課後子どもがどこにいるかもわからなかっただろうけど、それで大騒ぎになることもなく、夕方5時になって「夕焼け小焼け」の音楽が流れると自然に家に帰って行った。

 

遊びの約束だって、親が関わることなど一切なく、子供同士で自発的にした。さすがにお泊りともなると、招待される側の親が招待してくれたお家の親に一言お礼を言ったりしたけど、その程度だ。

 

そうやって、自分達でサバイバル(?)、ソーシャルスキルを磨いていったのだ。

 

それが今はどうだろう、、、。

 

もう息子などは11歳といい歳なのに、今だに遊びの約束ですら、親同士が連絡を取り合って立てる。

 

そして、遊んだら遊んだで、家で遊ぶだけでは退屈だろう、ゲームばかりしては不健康だ、と親が遊園地や海やトランポリンなど、子どもの喜びそうなどこかへ連れて行く。

 

私も時々、子どもたちが週末一人ぼっちではかわいそうだから、と「遊びに来る?お泊りに来る?」とお友達のママに連絡する。 

 

時には、家族ぐるみで出かけたり、家に招待したり、されたり。招待するとなると、兄妹も一緒に呼ぶから、大変だ。

 

それはそれで、親同士仲良くなれるから、もちろん楽しい。楽しいけど、全てが子ども中心で回っていて、大人が子供の世界に関わりすぎていて、子供たちにとってもシンドイ生活になったよな、と時々思う(笑)。

 

親が全てお膳立てして、監視され、親が定めた枠の中で遊ぶ子どもたちを見ていると、ちょっとかわいそうな気もするのだ。

 

特に最近は、アイパッドは良くない、ゲームは良くない、という声が大きくって、こちらも子どもたちの友達を招待する際は、アイパッドフリーの時間を設けたりして気を遣わなくてはいけないから、正直面倒臭い(笑)。てへぺろ

 

ゲームばかりやるのは良くないかもしれない。でも、私もゲーム好きだったからわかるけど、楽しくってワクワクするんだよね、仲良しの友達と一緒にゲームするのって。一人ではできなかったシーンを、友達と一緒にどうやって攻略するか考えて、キャーキャー言いながらクリアする。それはスリリングで楽しい。私も、時々子どもたちと一緒に時々Xboxのゲームをやるけど、みんなでやると盛り上がって楽しい。まして、最近のゲームは昔に比べてすごくリアルになったし、子どもたちが夢中になるのも無理ないと思う。

 

別に休みの日に遊ぶときぐらい、親にあれこれ口出しされることなく、一日ゲームやりたいならやったっていいじゃん!?と思うけど、なかなかそうも行かない。あまり好きにやらせていると、「あの子の家に行くとゲームとアイパッドばかりやる」などと敬遠されてしまう。

 

親として子どもの心配するのもわかるけど「ゲームばかりしないで外で遊びなさい」とか、遊び方まで子どもに押し付けるのって、すごい余計なお世話だし、かなり煙たいんじゃない?高いところから飛び降りたり、悪さをしたりしないよう安全としつけに気を配ることだけは、大人として押さえるべきだと思うけど。

 

親が子どもに「こういう風に遊んで、こういう子になってほしい」と期待して管理したところで、子どもがそれに応えるとも限らない。ただでさえ、勉強ができるように、いい大学に行くように、と期待されているのに、遊ぶときまでそんな期待されたら、子どもは息苦しくて仕方がないと思うよ!滝汗 

 

私が子どもの頃なんて、親が遊びの内容を企画・管理するなんて、一切なかった。家族ぐるみのプレイデートなんて一度もうちの親は企画しなかったけど、子どもには子どもの世界があって、自分達で遊びの計画を立てたし、そこに親がいなくても何の不自由もなかったし、むしろ、ある程度の歳になったら、親はいないほうがいいのだ。そして、大人にも大人の世界があって、そこに子どもを混ぜることなどなかった。

 

それがいつからか、親が子どものソーシャルライフにまで首を突っ込むようになった。これじゃ、子どもの自立心って育たないよな、、、と思う。なんでこんなに息苦しくなったんだろう。

 

特に、親の送迎がないとどこにも行けないという車社会特有の現象で、アメリカなどでも同じだろう。東京のド真ん中で育った私とは事情が違うし、安全に対する概念も変わってしまった。 

 

だいたい、マレーシアは暑いし蚊がいっぱいいるから、公園などではあまり遊べない。子どもだけで連れ立って出かけることも安全を考えるとできない。正直言って行くところもあんまりない(笑)。だから大抵は家で遊ぶことになる。

 

この前東京に家族で久しぶりに帰国して、子どもたちは大喜びだった。日本に帰りたい、住みたい、と思ったようだ。

 

東京の街は、面白いことや刺激で溢れている。何を食べてもおいしくて、一流のものがたくさんあって、本当にパワーに溢れた街。それでいて安全だ。

 

東京に住んでいたら、きっと子どもだけで放課後遊んだり、休みの日は連れ立って公園や原宿の街に遊びに行ったりできるだろう。

 

今はまだ子どもたちも小さい(といっても、もう11歳と8歳だけど)から、自然に囲まれてゆったり南国で過ごすのもいいだろうし、親としてここまで子どもたちに関われるのもあと少しなのだから、それはそれで精一杯楽しみたい。でも、彼らが年頃になったら、東京に帰るとか、もっと都会で暮らしてもいいかもしれないなー、と思った。

 

子どもは子どもで、自分の世界を切り開いて、色んなサブカルチャーやエンターテイメント、一流のものに触れてほしいし、大人の私もそうしたい!

 

そんなことを考えながら、さて、今週末も、娘の友達をアイススケートかトランポリンに連れてゆく計画を立てる。先週は娘をテーマパークに連れていってもらったから。

 

でも、子供達には、自分で勝手に約束して、ここに行こう、あれして遊ぼう、と自発的に計画するようになってほしいものだ。そして親の私も、意識して、子どもには子どもの世界があるのだ、と出しゃばらないようにしないと。

 

そして、私もどっか面白いところに遊びに行きたいな~、、と思う今日この頃なのであった。爆  笑