気がつくと、もう子どもたちも10歳と7歳になった。
だんだん自立心が芽生え、親から離れてゆく時期だ。
下の娘は、最近まで夜、私が添い寝しないとだめだったのに、いつの間にか
「ママ、私もう7歳だし、ひとりで寝られるから、ママは隣で寝なくっていいよ。」
と言うようになった。
実は寂しいのは私だったりして。
色々と、これまでの子育てを振り返り、これからの子どもたちのことを考える。
子供のことを色々思いあぐね、心配するのは親の性。
あんな習い事させたらいいだろうか、こんな学校に行かせたほうがいいだろうか。
こんな食事をさせたほうがいいだろうか、あんなところに連れていってあげたほうがいいだろうか。
自分はいい親でいられているだろうか、子どもともっと向き合っているだろうか。
子どもはちゃんとやって行けるだろうか。
グレずに、悪い友達と付き合ったりせずに、まっすぐ生きて行けるだろうか。
社会の荒波を乗り越えて行けるだろうか。
自分は子どもに充分与えられているだろうか。
最高の環境を用意してあげられてるだろうか。
等々、心配事は尽きない。
どんなときでも、子どもの幸せと最善を望むのが親の性だから。
でも色々親があれこれ用意してあげても、結局それを活かすか活かさないかは、子ども次第だ。
親がよかれと思ってすることも、子どもにやる気や興味がなければ意味がない。余計なお世話なんだ。
できることは、やりたいことは、親が放っておいてもできるし、親が反対してもやるだろう。
子どもは自分の力で人生を生きることができるのだ、切り開いていけるのだ、と信じて、見守るしかない。
最近思う。結局親として子どもにやってあげられる究極のことって、背中で語ることなんじゃないかと思う。
子どもにこんなふうに生きてほしい、こうなってほしい、と望みを託す前に、まず、自分はどういう生き方をしてるだろう。
自分自身が、子どもに胸を張れる生き方してるだろうか。
子どもにワクワクする充実した人生を歩んでほしいなら、自分ははたしてそんな人生歩んでいるだろうか?
こうやって生きるのよ、と見本となって、子どもの手を引っ張ってやれるような、そんな生き方してるだろうか?
子どもがいつしか大きくなって、夢を持つようになったとき、夢のかなえ方を身をもって教えてあげられるような自分でいれるだろうか?
自分が思うような人生を生きてないから、だからせめて子どもには、、、と、自分の叶わぬ夢を投影していないだろうか?
うん。そうだ。親は黙って背中で語らなければ。
まずは自分が精一杯生きて、体現する。それが、きっと愛する子どもたちへの最高の贈り物だ。
子どもたちのことをあれこれ心配する前に、まずは自分の心配をしないといけない。
そんなことを、最近考える。自分への戒めとして。