私の尊敬する人の一、中村哲さん。
突然の訃報にただただ残念で悲しい。
アフガニスタンで医者として湾岸戦争終結時、9・11の後の混乱期の中でも逃げださず、目の前にいる本当に困った人を助けたいという純粋さとそれを実行する強い意志、
言葉も宗教も土地や文化、慣習の全く違う人々との信頼関係を築き、人間の力ではどうしようもない大干ばつや人間が引き起こすテロなどの争そいに巻き込まれた人々を助けたい一心で人間として生きるために必要な水をなんとかしたいと自らショベルカーに乗り用水路を作った偉大な人です。
私が初めて中村哲さんを知ったのは9・11の後に国会で参考人としてアフガニスタンの人々の実態について証言していた時です。
正直、どんな話をしていたのか覚えてはいません。
ですが、その時の姿になにか引き付けられるものを感じ、中村哲さんの本を読むようになりました。
我が家にある中村哲さんの本です。
本の内容は難しい言葉も使っているのですが、全体的にはとつとつとした命に対する誠実さや優しさにあふれています。
また、アフガンで繰り広げられる空爆や争いの中で各国の思惑や一方的な支援への憤り、平和とは、幸せとは、と問いかけています。
ぜひ多くの人に読んでもらいたいです。
医者であるが医療以前に水がないという困難の中「とにかく生きておれ!病気は後で治す!」と。
縁あって医師としてアフガニスタンの山間部に赴任され、そこでハンセン病の患者さんに多数会い、医療の前に基本的な暮らしの不備や適切な靴がないことによってハンセン病が悪化している実態を知り、
まずサンダルを作ることを始めたり、
無医村の土地から何日もかけて診療所にやってくる人々のために山岳地帯で3か所に診療所を開設し、
さらにはきれいな水がないことで死んでいく人々を目の当たりにして各地で井戸を掘る事業も始めました。
私も中村哲さんの本で傷口をきれいに洗う事ができずに亡くなっていく人たちが多数いるということを知りました。
日本では当たり前に蛇口からきれいな水が出てくるので傷口が洗えないだけで死んでしまう人がいることに衝撃を受けました。
先生は医療よりもまずは水が必要と自分たちでメンテナンスできるように現地調達できる部品を使って井戸を掘りました。
それまでも各国のNGOや企業が先進技術で井戸を掘ってくれたそうです。
でも、部品が壊れてしまうと使う事ができず、さらに直し方もわからずでそのまま放置されてしまう井戸が多数あるということです。
同じようなことで、ある政府やNGOからの援助品として車椅子が送られてくるそうですが、道路整備などされていない岩ばかりの山間部には到底使えない、
送った方は援助したとなりますが、送られてきた方は使い道がなく途方に暮れる、といったことが多々あるということも書かれていて、ただ単に現地のニーズではなく、援助した方のただの満足感、援助の押し付けなど復興援助の実態も知る事ができました。
また、大干ばつで農業ができなくなった人が家族を養うためにISやタリバンなどに入る現実。
そのような事も目の当たりにして、「百の診療所より1本の用水路」をと「緑の大地計画」を実行することになり白衣を脱いで用水路計画に着手し、自らスコップを持ち、ショベルカーに乗って土を掘り、アフガンの人が何十年、何百年も使える用水路を作る決意をしました。
現地の人との理解を深めるのに苦労したこと、報道と現実のギャップへの憤り、海外からの援助の現実に振り回されながらも目の前にいる困った人をどうやって救ったらいいのか考える日々に大きなため息をたくさんついてきたと思います。
そんな中でできることを一つ一つ実行してきた方です。
難しいと思われることばかりでしたが、行動にできる本当にすごい方です。
尊敬その一言です。
定期的に送られてくるペシャワール会の会報です。
これでこの計画の進み具合を知る事ができました。
やっと苦労していた取水堰に関してめどが立ってきたところでした。
何年か前に札幌に中村哲さんがいらしたときに講演会にも行ったことがあります。
本当に小柄で、正直おじいちゃんです。
そんな小さな体に大きな心を持ち、その時も大きな声を上げて話すわけでもなく感情をあまりあらわさない落ち着いたお話をされていました。
私はずっと会いたかった方なので遠くからでも本当にうれしかったです。
今でも世界の人に読まれているミリオンセラー「世界がもし100人の村だったら」を書いた池田香代子さんの講演会を聞いたことがあるのですが、この本を出版した経緯はもともとアフガニスタンの中村哲さんの事業に寄付するお金を得ようとしてはじめたものだったとお話しされていて、
「そうだったのか!」と感銘を受けた記憶があります。
日本では中村哲さんの行ってきたことはあまり知られてはいなかったと思いますが、
このように先生の活動を知って支援してきた人はたくさんいると思います。
その証拠に資金として何億、何十億とかかる用水路はほとんど日本の人々の寄付金やペシャワール会の会費として先生の活動を支えたいと思っている人のお金で、そのような人が多数いるのです。
我が家も微力ながらその想いをもってに参加していた一人です。
この用水路計画の一部をまとめたDVDがあるので今度鑑賞会でもして多くの人に見てもらいたいな。
30年のアフガ二スタンの中で確信したこととして
「武力によってこの身が守られたことはない。防備は必ずしも武器によらない。」
「信頼は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが人々の心に触れる。それは武力以上に強固な安全を提供してくれ人々を動かす事ができる。」
「平和とは理念ではなく現実の力なのだ。」
とおっしゃっています。
先生がお亡くなりになった今、一人の日本人の気骨がアフガニスタンにもたらしたものをこのような形でたくさん報道されるようになって多くの人にが知る事ができましたが、こんな形で知られるのは本当に悲しいです。
今回は5人のアフガニスタンスタッフも亡くなりました。この死は本当に悲しい、いたたまれない気持ちでいっぱいですが、このことで武力など無意味な争いにならないで欲しいと願っています。