今の私、宙ぶらりん。
こういう状況に弱い私です。
けどこの時間をきちんと対峙していくこと、それがこの先私が逃げも隠れもしないで生きていくために必要なのかもしれません。
昨日主治医から言われた言葉がかなり響いていて。
「あなたはいつもそうやって人のせいにして」
そうですね。
私、親を憎んでいて、会いたくなくって。
だから、都合よく頼ることなんてできないのです。
頼った後に、親からどのようなことが待っているのかが怖いから。
こういうことが、「人のせい」へとつながっているのです。
親を憎もうが会いたくなかろうが、それは私の中での問題。
それを理由にして自分は病気になったとか、ひどくなったけど頼りたくないとか。
いいわけです、完全に。
誰かに頼りたい、けど、どう頼っていいのか誰に頼ればいいのかわからないんです、私。
仮に私の娘が、親に躊躇して今の私の状態のように頼りたくても親には頼れないって、一人苦しみ頑張っていたのなら…。
考えるとぞっとします。
私は娘に頼られることに誇りを持っていますから。
そして、その頼られた先には娘からのgiveは求めようという気持ちは全く生まれません。
なぜなら、無償の愛があるから。
娘が生きている、自分の足で立とうとしている、そういった成長の過程を見て、自分ができなかったことを彼女がまっすぐに成長してくれる、それだけでもう十分。
私はいつも心の中でこう思って生きています。
もし娘が、今の私のように親を憎み恨んでいるのなら、それで仕方がないと。
その先に、仮に刃を向けてきたならば、受ける覚悟は持っています。
ただし、理由を聞くかもしれません。
どうしてそう思ったのか、そういう行動にうつそうとしているのか。
その理由を否定はしません、するつもり全くありません。
全部受け止め、彼女のその時に感じた気持ちにこたえていきます。
それは、私が自分の親にしてほしかったことだから。
私は親のカウンセラーではありません。
親の恨みや憎しみ、憎悪のはけ口を子どもへむける、これだけは絶対にしたくないです。
ただし、今の主人との関係については、娘にきちんと伝えています。
「お母さんは、お父さんに対してきちんと向き合えなくなったから離れようと思う。だけど、お父さんの気持ちもよくわかるし、お父さんのあなたへの愛情は誰よりも深い。きっとあなたもそれをわかっているからお父さんとずっと仲良しでいてくれるのだと感じている。お母さんがこうしてお父さんと距離をあけるから、あなたにもそうしろと言いたくない。あなたはあなたの考えでお父さんとお母さんと会えばいい。
仮にお母さんと会うことを拒否したいのならそれで構わない。ただ一つ、約束というかお願いがある。それはもう3人で会うことは、今のお母さんには難しい。それは、お父さんと向き合えない姿をあからさまにあなたに見せることは残酷だとお母さんは思っているから」
娘は「わかったよ。ただね約束があるんだけど。仮に私が人生での節目を迎えたとき。例えば結婚とか出産とか。そういった時は私たちは家族なのだから3人で一緒にいて。家族という責任を果たして。私は家族が大事だから。たとえお母さんがお父さんのもとから離れても、私のお母さんだし、家族だし」
こんなふうに成人したばかりの娘が言えること、それは彼女が立派に成長した証だと誇りに思うのです。
もちろん、いろんなところでまだまだだなって思いますが。
でも、そんな大人になれていない部分も、ダメな部分も、すべてを受け止めています。
私が親にしてもらえなかったこと、してほしかったこと。
親子関係の連鎖というものがあり、私も娘に対して私が母から受けてきたことを連鎖し始めようとしていました。
けど、病気になって、いろいろ考えていくうちに、ふっと気づいたのです、私も娘に自分がされて嫌だった、今でも嫌だと思っている、そのことを平気でしているってことに。
それを私は断ち切る努力をしてきました。
自分の親のような「毒親」にはならないようにと。
私はそんな「毒」のあるところには行きたくないのです。
世間から見れば逃げだと思います。
けど、逃げなければいつまでもその「毒」に侵されていくのです。
こういった自分が心身ともにつらいとき、どこへ向かえばいいのかわからない。
一人じっとしている、これってかなり堪えますね。
どこへ向かうのかな、私。
娘のように、天然だけどしっかりとこういう空間もすべてうまく使って生きていける人間を素晴らしいと思うのです。
私はそれができない…。
この先に何が待っているのかな…。