私はとてもひがみが強かったんです。

自分がしてほしいこと(してほしかったこと)、こうしたいと願っていたこと、それら自分の願望がかなわないのに周りは「普通」にかなえていくこと。

幼いころからそういうことを目の当たりにして、恨み妬み、ひがみばかりを伴って生きてきました。

けど、それを表に出すことが怖かった。

知られないように「いい人」を演じきっていました。

 

主人から「オマエってひがみとか妬みとかあるよな」

そんな言葉が出ると、ものすごい勢いで怒りをあらわにしていました。

「私は違う!!」

 

いやいや、認めたくなかっただけなんですよね。

だって嫌われたくないから。

主人だけではなく、自分の知り合った人たちに、とにかく私という存在を認めてもらうには、そういったものは隠す必要があったのです。

私はいろんな時期を経て、ようやく「私って妬みとか恨みとかってすごいんだ」って、まぁ認めることができるようになり。

もし仮に突っ込まれても笑って「そうそう、私ってさ」なんて言えるくらいになりました。

だけど、こういうことを私に言ってくる相手にもよるし、その場の状況にもよるかな。

笑って「そうそう」なんて言えたり思えたりできるのは。

だってね、やっぱりココロのどこかにまだ「いい人」でいたい「人に嫌われたくない」なんていう、人に対する依存度が高いから。

 

人への依存度が高いのに「人を頼ってはいけないもの」という変な固定観念もあります。

この辺りはまた機会をおって書こうかなと思いますが…。

 

けど、年齢のせいなのか、いろんな経験をしたせいなのか、ひがみや妬み、そして恨みは消えはしないけど「それはそれだよね」って思えるようにはなりました。

なぜ消えはしないと書いたのか。

それは過去のことを引きずる自分がココロの片隅にいて、たまーにその片隅にいる奴らがひょっこりと顔を出すのです。

 

だから、今親や兄弟と距離を置いています。

友達だと思っていた人を、とにかく限定しこっちからは連絡しないでいます。

もちろん、何もかもを話し合える友人との縁は切っていませんよ。

こちらからもつながりますし、そういう人はこちらから何かやり取りをしようとしなくってもふとした時に「元気?」みたいに連絡が来ますからね。

 

あ、話が脱線しかけていますので、元に戻します。

ひがんで恨んで妬んで。

これは、母親の影響が非常に大きいと思います。

実際、私の母はこういう人ですから。

そんな人に育てられれば、そういうベースが自然と身についちゃうというのか、出来上がっちゃうんですよね。

過去にはそんな親とかも恨み憎みました。

何もしないというか気づかない親を妬みました。

そうしたひがんだココロは、今思うと、ウツや摂食障害とも関係性があるように感じます。

 

いろんな気づきの中で、そういった私の根底を今は否定をしなくってもいいかなと思えるようになりました。

そう思えるようになれば?って言われても、わかっちゃいるけど思えなかった私。

簡単にいうと、認めたくなかったんですよ、こういったいかにも性格が悪そうなことを。

 

けどね、人って何かしらこういったものをどこかに持っていると感じたんです。

ただその度合いとかが違うだけ。

だから、今の私はこれも自分ということを認めているから、ちょっと楽になれたのかもしれませんし、だからウツや摂食障害も比較的症状が出ない日々を過ごすことができているのかなって思います。

 

もしかすると、こういうひがみとか妬み恨みというものがまた表面化したとき、2つの症状は再発するのかもしれません。

だから、私はこの2つの病気が治ったとか治ってきたとかって言えないのです。

 

私のこうしたゆがんだ部分がきちんと振り返るので来ているうちは、きっと症状は治まっているもしくは出てきても何かしら今までの経験で得たことで症状を和らげていけるのかなと感じています。

 

今もまだ消えたい願望があるから、自分の何もかもを自分の中で認められたのだし(だって消えるのだったら消えた後何も残らないでしょ?)、ただただ前へいこうと。

突っ走った先に、ふっと消えていく、これが私の理想形。

なら、どうだっていいのですよ、私自身のことなんて(←自暴自棄ではないですよ)。

 

さて、前へ進みましょうかね、今日も。