OD(オーバードーズ)です。

 

ウツ発症していたことを見抜いた神経内科の(頭痛外来の)主治医。

紹介されたクリニックへ行くと「仕事を休みなさい」。

しかし、そのころ本当に何もかもが忙しくて、クリニックの先生に事情を話し、お薬をもらいながら勤務していました。

しかし、忙しいためにきちんとした通院もできず、きちんとした服薬もできず。

やがて本当にどうにもならないようになり、休みを決断したころには、ウツは重度化していました。

休むこと=怠けている

休むこと=みんなに迷惑をかける

休むこと=世間体が気になる

などなど。

とにかくネガティブで、人の目ばかりを気にしていましたし、働けない=価値がないとも思っていました。

やがて、服薬をきちんとしていなかった私は、別段お薬をためていたわけではないのですが、たまっていたお薬を一気に飲みました。

その理由は

①私の周囲の人間に役に立っていない

②周囲に迷惑な存在

これらも含め、私はこの世から消えていなくなりたい、そう思ったのです。

 

実は、幼いころから「消えてなくなりたい」願望は持っていました。

そこには私という一人の人間の存在価値はこの世の中にとって不要なもの、そう考えていたからです。

「死にたい」じゃないのです。

「消えたい」なのです。

この「消えたい」というのは、この世に私が存在していなかったことにしたいという願望です。

 

結局ODをしても、何日か眠り続けるとか、逆に覚醒していたり、いたって普通だったり。

死ねないのです。

ただ、そこにいた身内が大変な思い(寝っぱなしなのでたまにトイレに連れていくとか、いつまた何かしだすかわからないといった不安)でしかないわけで。

何回かこのODをしました。

ある時のODは、眠れない苛立ちから、不安薬をいつもの倍飲むも効かず、じゃぁと次々にお薬を飲み、朝が来てしまったのです。

で、気づいた母が「今すぐクリニックに電話しなさい」と。

そしてクリニックへ行くこととなり、そこで今の主治医がいる病院の紹介状を持たされすぐにいくように言われました。

そのクリニックの先生は「あなたは○○病院で入院させてもすぐに退院してきちゃうから、ここへ行きなさい」といったような覚えがあります。

で、入院が決定し、ベッドが空き次第連絡が入ると。

そして、3カ月以上入院生活を送ることになった覚えがあります。

退院していいと告げられ、主治医に「元のクリニックに戻ります」と話すと「いや、今後は僕が見ます」と。

 

それ以降、ODはしなくなりました。

けど、自傷行為が激しくなったり、ある時を境に自分を責める行為から外へ向かうといった攻撃性に変わっていきました。

そのころから摂食障害が併発。

まぁ、依存対象がお薬や自傷、外への攻撃といったものから、食べ物へと変わっただけなのですが…。

 

そんなこんなで、今現在はこういったものはほぼ見えなくなりました。

唯一残っているのは「消えたい」願望です。

今でもこの世から私という存在はなかったものにしてほしくって「消えたい」願望は私の頭の中でチラチラしています。

だからって、自分から何か起こそうとかも思わないのです。

例えば偶然交通事故でとか、寝ていてそのまま心停止したとか、そんな風にぽっくりと行きたいのです、自分が手を下すことなく。

 

しかし、昨日の夜、突然降ってわいてきた「ODしたいな…」という気持ち。

けど、過去みたいに大量に余った薬を持っていませんし。

家にあるすべてのお薬を飲んだところで、そんなぽっくりとなんていかないとの考えが浮かびました。

飲んだところで昏睡が2~3日続くくらいかなと。

今は一人で暮らしていますので、気づいたらお布団がベタベタっていうことくらいかなとか。

もしかすると、出勤しない私を心配して経営者さんが勘を頼りに今の自宅を探し当て救助するのかもなとか。

こりゃ、人に迷惑しかかけない→いけないそりゃ

そういう思いが巡り始めると、ODしたい気持ちは消えたというよりも萎えていってしまいました。

 

なぜODしたいと浮かんだのかな…。

誰かにかまってほしいのかな。

確かにね、かなり自分としては気持ちが大きく揺れ動いたりしていましたし、今日もその余波はありますけど…。

 

この昨日のODしたいなという気持ちは、自分自身への忠告なのかもしれませんし、今現在までのことを振り返りなさいそして前へいきなさいという暗示なのかもしれません。

今日は全くそんなこと思わなかったし、今もまったく思いませんが、だからこそ十数年前にそういったことはとうに忘れていたODを再び強く思ったことは、何かにしても私の中で大きな揺れがあり、それについて冷静に考えるようにということだと思っています。

 

ODって悪いことかもしれないけど、そこしか逃げ場がない人だっているんですよ。

やる本人も、ダメってわかっているんです、きちんと。

けど、それよりもどうにも逃げられないからそういう気持ち、そして行動に移してしまうのです。

安易に「ODはダメ」ってのは、まったくもって意味をなさないと思います。

それよりも「どうしてODしたくなったのか、してしまったのか」を本人やその周囲の人がきちんと捉えられることが最も大事だと感じます。

 

いやぁ、昨日の私、よく耐えたな!!

自分でほめています。

そして、「ODしたくなった」というその奥に眠っている本当の感情をむき出しにし、さっきようやくちょっと整理し始められていて、今に至っています。