さて、「アルコール」「薬物」「ギャンブル」といった3つの依存と、「摂食障害」の依存というものとの相違点についてです。
まず共通項は
① その物質や状況に依存している
→ あたりまえだっていうかんじですよね。
② その依存対象によって何らかの支障をきたす
→ 「金銭面」 その「もの」がほしいために自分の財産はたまた家族等への金銭面にまで影響してくる。
「生活面」 その物質(依存対象)の影響で、家族など身近な人たちとの生活が困難または破たんすることもある。
「心身の状況」 身も心もズタボロ、そんな表現に近い状態になることが非常に多い。
③ これらはれっきとした「病気」である
→ これらが「病気」というものだとは知っているが認められないまたは認めたいけど…という人が結構多いような気がする。それと、そういった「病気」という認識が当人にはなく「いつかやめられる」なんていうことを思いつつもやめられないでいる状況にあることも・・・。
④ この「病気」は精神科といった標ぼうのあるところで治療をする
→ ただし、身体にも影響があるときには「内科」や「外科」的な治療も含めて行うこともあるが、基本的には「精神科」となる。
と、こんな感じかと思います。
他にも共通項はありそうですが、今浮かんだのはこのあたりでしょうか。
さて、相違ということで3つの依存症と「摂食障害」との決定的な違いをお書きします。
それは
☆3つの依存物質になるものは人間が全く摂取または行いをしなくても生きていくことができる。
☆しかし「摂食障害」は「食」にまつわるものであり、この「食」を全く行わなければ人間としての「生きる」ことはできなくなる。
そう、人って何かしらの食べ物や飲み物を口にして胃や腸で消化しエネルギーになることで「生きて」いるのです。
あ、人だけじゃないですよね。
動物だって植物だって。
つまり、摂食障害の方たちの嗜癖の部分「食」を全くしないというわけにはいかないのです、生きていこうとするのであれば。
代表として挙げた3つの依存症の依存となる対象物は生きるための必須要件ではない、しかし、摂食障害の依存対象である「食」は生きるための必須条件なのです!!
だから、取り除けば イコール 死 なのです。
だけど、生きづらいからそこ(つまり依存症)へ行きついたわけなのですよ。
今の私は、摂食障害の症状がなくなり約2年近くたとうとしています。
けど、生きづらいです、はっきり言って。
じゃぁ、なんで摂食障害という依存をしなくなっても、生きづらさを解消できるの?って思う人もいるのではないかと思います。
うーん…、答えは「ない」に等しいのです。
「これかな、たぶん」という感覚はあるのですが、「これだ!!」という断言はできません。
そして必ずしも一つでもないと感じています。
なんというのかなぁ。
いろんな要件が絡み合ううちに、どこかで摂食障害を覆い隠して私から見せなくしてしまっている。
そういう表現が、今の私としては一番近いような気がします。
だから、覆い隠してあるものから姿がちらりと見えてそこから摂食障害という名の「悪魔(仮として)」がひょっこりと顔を出したらきっとまた摂食障害は復活すると思います。
だから私は「治った」といまだに言えません。
ただし、今までにはないくらいに摂食障害に対して「どうだっていい」と思えるくらいになったのです。
そして、もし仮に再発したとしたらまたその時に私は「摂食障害を再発しなんだな」と受け止めるだけでいいやという余裕ができたのだと思います。
最後に私の今の気持ちを書きました。
これって他の依存症で苦しんでいらっしゃった方で、今その依存から手を放すことができ生活を送っている方たちも、この私が書いたような思い(似たような思い)がどこかにあるんじゃないかな?!と。
アディクションって、世間が言うような「超悪者」でもなさそうです。
この経験がのちに「人」として大きな成長を遂げる気がしますので…。