昨日は仕事を少し早く終わらせ、診察とカウンセリングに行ってきました。

 相変わらず予約時間には呼ばれず、カウンセリング予約時間間際に診察に呼ばれました。

 

 診察の内容は、前回お願いしていた診断書を受け取ったかの確認。

 そして、前回以降の体調と生活についてです。

 お薬を再開して20日くらいになるでしょうか。

 まだ気分の波はありますが、日中絶えず眠いということは少なくなり、人とのかかわりの億劫さも少し軽減しています。

 で、主治医に「今困っていることとかは?」ときかれ、「父の介護で母が相変わらず大変な状況を見ていて、こっちがハラハラしている。けど何もできないし、母の愚痴を聞くことがまぁ私のできることかなと思って生活しています」と。

 仕事についても聞かれました。

 次回は1か月後の診察だそうです。

 

 で、カウンセリング。

 「前回の話の続きにする?」と。

 まぁ、どちらでもいいとは言いながら、前回のカウンセリングできちんとした答えが出たことを話しました。

 それは、付き合っていたころからの主人に対する私の思いは「パートナ」ではないということ。

 嫌々ながらも結婚したのも、離れたいのに離れることができなかったことも、離れるのにまた戻ってしまうことも、すべては「主人は、私が両親に本当にしてほしかったことを実現してくれる人だったから」なのです。

 つまり パートナー というよりは 保護者≒主人 だったから。

 もちろん、モラハラ的な人なので、ほんのスキを狙い撃ちすることが得意(主人自体は気づいてなくて攻撃をする)が、悪い意味で(つまりモラハラ)作用する代わりに、いい意味(両親が私に本当にしてほしかったこと)でもそのすき間の狙い撃ちは的確で、私が親にしてもらえなかった不満や悲しみといった葛藤を主人はさくっと救ってくれる存在です。

 しかし、私もようやく本当の意味での親離れという自立ができそうなので、主人との婚姻関係はいらないのだと話しました。

 カウンセラーは「じゃぁ、ご主人と普通に話したり会ったりすることについては?」とのお尋ねに、「それは全然大丈夫です。嫌いになったわけではなく。ただ、こうして前回までのカウンセリングで自分の恋愛観とか性的被害からくる自分の被害意識とかを考えているうちに、こういうことが主人との関係なのだと自分で改めてはっきりとしたので。」と。

 いままで、この事実を公にすれば、自分のやっていること(離れたいのに離れられない関係)が全否定されるまたは批判されるという怖さがずっとあったし、こういう気持ちは世間的に道徳的に間違いと思っていたから、わかっていてもわからないふりをしていたと気づきました。

 けど、ようやく私も本当の意味で自分の自立が何かわかったし、自分でしたことは自分で解決することや誰かと上手に関わり合いという依存をしていいこともわかりましたし。

 極端な考えをする私なので、どうしても上手な依存がいまだ実感できてはいませんが、つかず離れずの関係、それが一番心地いいことはわかってきましたので、主人との関係は、そのつかず離れずの距離で今後もいきたいとカウンセラーと話しました。

 主人を私から誘うことはほとんどありませんが、主人から休みなので食事や出かけるなどのお誘いは、友達の関係のように自分も時間的に余裕があればさほど断るつもりは、今後ないと思います。

 ただし、パートナーだから一緒にいる感覚はもう、とうの昔からありません。

 主人からは何かにつけて元住んでいるところに帰ってきたらどうかといわれるのですが、何度説明しても話は平行線。

 主人と24時間365日過ごせないから、今実家に逸るんだし、私はもうあなたと一緒のは無理と何度も説明はしています。

 もちろん、理由も、パートナーとしてはもうとらえられないと伝えていますが…。

 主人には理解できないので、ああだこうだいって、私の意見がいかに世間で間違いなのか一生懸命自論を私に説いてきますが、同じことを私は何度も話すことにも嫌気がさすので、もうこの話はここで終わりだし、これ以上私を疲れさせないでほしいし困らせないでほしいといって、それ以降話をしてきてもあえて無視して時間をやり過ごしています。

 もっとはっきりと私が一緒にいた理由を主人にズバッというか文章化したほうがいいのかとも、考えはじめています。

 もう一つは、今の仕事について話しました。

 もともと、カウンセラーの紹介でつながった方と仕事をしているのですが、今まで私が本当の意味で学びたい福祉の現状を目の当たりにできていて、この方とのめぐりあわせには感謝していることを話しました。

 この方はどこに縛られることのない、福祉を知っている方だと、改めて毎日実感することができ、本当の意味で、当事者にもその家族や周りにも、各々の違った諸問題からくる生活の困難さを、どの人にも生きていく権利があることを説得する力のある方と思います。

 病院のワーカーにしろ、以前勤務した就労支援以降の仕事にしろ、視点は当事者中心。

 もちろん視点の第一は当事者である、それは私も同意見なのですが、その周りの環境、特に人間の関係性がある程度整わなければ、当事者の生き方は結局社会資源の活用を中心としたものでしかなくなるような気がしています。

 当事者のエンパワメントを信じるのであるなら、その一番近い家族へのことも考えていくことでより強いエンパワメントを引き出せるのではないかと感じています。

 まぁ、そんなこんなでカウンセラーに仕事の話をしながらも、私が今までやりたいと思っていた福祉が、近くで(今の仕事場で)身に付き始めているのではないかと言われました。

 まだいろいろと話したかったのですが、時間だったので、次に話すことにしました。