こんにちは。

Sachieです。

 

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

前回から続き、

起業STORY第6話

引き続きご覧いただけると嬉しいです。

 

過去の記事はコチラから照れ

 

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9年半営業として働いた後、

「営業を卒業して新しい経験を積みたい」

と伝えたものの

 

大切な事が抜けていた。

それは、

「なにがやりたいの?」

 

 

ここが当時の私にはなくて…

将来の展望もなし。

 

 

「やりたい事探し」のために

新しい経験をしたいという

ほぼワガママ(!?)

 

 

そして、

「どんな仕事を与えてもらえますか?」

の完全受け身体制。

 

 

こんな私のことを当時の上司は

真剣に考えてくださり(感謝泣

 

 

新設された

『近畿エリア広報PR担当』

を任命してくれました。

 

 

市場規模が大きく

エリア特性強めな近畿エリアで

独自戦略の広報PRを展開することで

お客さまとの接点拡大を図ることがミッション。

 

 

文章で書くとカッコよく見えるけど、

ぶっちゃけ

「何しらたいいの赤ちゃん泣き⁇」

だった。

 

 

営業の時のように

担当する得意先、関係者が決まっていて

予算目標があって

目の前に既にたくさんの仕事があって

 

 

とは全く違う

自分で生み出さないと何も仕事がない状態

 

 

何もしていない自分は

ただの給料泥棒のような感覚で

居ても立っても居られないタイプ

 

 

周囲のサポートをいただいて

ひたすらメディアを周って名刺を配りまくった

 

 

しばらくは本当に何もやることなくて

落ち込む時期もあったけど

 

 

ゼロベースだった私に

少しづつ新たな人脈ができてきて

取材・掲載獲得ができるようになり

 

 

「こんな事してみたい!」

の想いが自然と膨らんできた。

 

 

自ら企画を立てて、売り込んで、巻き込んで、実行‼



※当時のイベントの様子

 

 

 

アプローチの仕方は違うけど

営業で培ったあらゆるスキルが活かせる場所

ということも気づいた

 

 

アイデア出し、企画設計、社内提案

費用捻出、人員手配

運営・実行にはかなり労力がいる

 

 

でも、

私にしかできない仕事ができている

感覚があった

 

 

なぜなら、

会社や上司の意見や意志からのスタートではなく、

自らの意志が起点だったから

 

 

そして、企業の広報担当でありながら

独自のスタイルで展開

していけたのもやりがいだった。

 

 

たぶん本社からは

またやっちゃってるよ…

と見えることもあったかも⁉

 

 

当時の私を支社長が

「水を得た魚のように仕事をしている」

と表現した程

 

 

私、相当イキイキしていたみたいおねがい

 

 

もし会社からリリースを渡され

「ここに書いてある通りにメディアアプローチしてきて」

 

という仕事だったら

こんな自分には出会えていないと思う。

 

 

 

私にとって

仕事における大切なキーワード

『自分起点で主体的に動く』

 

 

それは、

どの素材を選んで

どんな調理方法で

どんな料理に仕上げるか?

 

 

自ら考えて、描いて、

自分らしいスパイスを足して動く。

 

 

そして

「なぜこの料理を作ろうと思ったのか?」

つまり起点が大切

 

 

だからこそ

今の私は起業という道で

「やりたい事をやる」人生を選んだんだなって

 

 

このブログを書きながら

改めて納得‼

 

 

まるで

「やりたい事が切り開けた!」

ように見えますよね?

 

 

エッセンスは得られたけど

見つかったわけではなく

 

 

「やりたい事探し」はまだまだ続きます驚き

 

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本日はここまで。

読んでいただきありがとうございます。

 

是非インスタもチェックしてみてくださいね。

@sachie.toda

 

 

起業STORYは次回につづきます。