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三原じゅん子議員の-





ブーシュカ(小梅ちゃん)が遊びに来てくれました

三原さん、いい政治家になってくれると信じております。。。。。

平和祈念。

六十五年前の八月九日 11時2分、長崎に原爆が投下されました。
原爆の爆心地五百㍍に 母の家はあり、その瞬間、部屋のドアが大きく曲がって次に閃光に包まれたそうです。

母の父母は長崎県下で商売をしており、祖父は砂糖を船にのせ出港準備、母と祖母は家に、母の姉は三人、母だけ歳が離れており、一番上の姉は
銀行勤務、次の姉は小学校の先生、三番目の姉は 教師をめざして女学校に行っており、その日は召集をかけられ軍事作業に行く道すがらで、被爆しました。
家に帰ってきた女学生は その伯母が一人のみ、他のクラスメートは即死、或いは行方がわからず。
一番上の伯母は、建物近くで被爆したため、全身 深く建物のガラスが数百ヶ所刺さって瀕死の状態で帰ってきました。


家にいた母や祖母、出港作業に立ち会っていた祖父、一見なんでもなく見えた二番目の伯母-この時点で皆、被爆被害にあってるのですが、当時は 全くそんな風に想像だにする事はありません。
ガラスが体中刺さって苦しむ伯母は、もういくばくも無いと本人が欲しがるものを与えて、助からないだろう命に向きあったようです。
一方、全く外傷がなくただふせってる女学生の伯母はやがて元気になってくれると-思っていたようです。

臥せる女学生の伯母のところに、クラスメートの 親御さん達が消息を知りたくて 皆さん訪ねていらっしゃったそうです。
原爆投下直後の長崎で、桃や果物をお持ちになって皆さん訪ねていらしたそうです。
どうやって手に入れられて、お持ちになったのか?焦土と化した長崎で食べ物や水はおろか、果物なんてある訳がないのです。

原爆投下一週間して女学生の伯母が激しく咳込むようになりました、苦しんで吐いたのは・・・内臓の肉だったそうで、四歳の母にも衝撃だったのでしょう、昨日の事のように記憶が鮮明にこびりついているようです。

そして八月二十五日、全く外傷もなく苦しいとも言わず我が儘の一つも言わずひっそりと 一人の教師を志していた 女学生が他のクラスメートを追うように亡くなりました、当時十八歳。


ガラスを体の透き間がなく刺さって瀕死だった伯母は、回復(もちろん被爆者ではありますが)気丈に健康に充分すぎるほど留意して元気に幸せに暮らしております。

核兵器のない平和な地球に世界中が一つにと平和祈念申し上げます。
戦争も核も人類にはいらないものです。



愛と不安の夏

大暑、土用の丑の日と 暑さのピークを毎日感じる日々ですが皆様お元気ですか?

唐突ですが明日から8月1日まで、六本木俳優座にて、原爆をテーマとした「愛と不安の夏」の公演があります。
詩の朗読を壇ふみさん、明日の初日は歌手のkumikoさんにINORIを歌って頂きます。

お時間ありましたら、ぜひご連絡下さい、御席の確認をさせていただきます。
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