3月1日、卒業式。
コロナ禍で、保護者1名のみ、在校生の出席はなく、来賓挨拶、校歌もなくこじんまりとした式でした。
式に向かい門をくぐる前に
わたしの頭に4年間の沢山の事がバァーとよぎり、自然と涙が出てました。
4年前の7月、1学期の終業式の前日に再発を告知され
翌日から即入院だったので、病院から帰った後すぐに学校へ
悲しみと苦しい思いを一旦落ち着かせ、先生に報告しなきゃ
母がしっかりしなきゃ
と心落ち着かせたのが門でした。
その後、一時退院した時、1時間でも学校へ行く!とがんばる気持ちの息子の背中を応援しながらも
姿が変わってしまった息子を仲間達がどう受け入れるかと不安に思いながら、ドキドキ見送った門。
退院して留年になり、一つ下の子達と新しいスタートとなり、
かなり固まってた息子をリラックスするために一呼吸置いた門。
その後も体調が落ち着くまで何度か送迎したり
定期検診のため、途中でお迎えに行ったり
その都度、この門を通ってたから
自然と門を見ると思い出してしまった。
まさか門で涙が出るとは
思いもよらなかった。
式へ向かう体育館の通路で偶然担任の先生と遭遇。
直接、お礼も伝える事ができよかったです。
先生が、いっぱい我慢する事があったと思いますが、本当によく頑張って来ましたね。立派でした!
と、誉めて下さりありがたくてまた涙腺緩んで来て、式前に泣ける母はわたしだけかな?とグッとこらえました。
体育館へ入り、検温後受付へ
受付の先生からも、
おめでとうございます!
本当によくがんばりましたね!
の温かい言葉をいただきました。
闘病中学年主任だったわたしと同世代の女性の先生とも会う事が出来、挨拶
先生は、母目線で息子を思って下さり何度もお見舞いにも来て下さいました。
息子が入院してから、病院と学校との面談の時も
帰り際にナースステーションに立ち寄り、Kくんすごくいい子なんですよ。みなさんKくんの事よろしくお願いします。
って深々と頭を下げてくれたり
息子と面会出来なくても
お母さんに会いに来たのよって
移植後一番きつかった時に
お母さん食べれてないでしょ
ここの大判焼きすごく美味しいからってわたしにも気遣いしてくれて
デールームで涙しながら食べた大判焼きの味は忘れません。
留年する事が決まった時も
ごめんね。何も力になれなくて…ホント、Kくんを進級させてあげて、他の赤点とってもやる気ないのを留年させたいぐらいだわ!って同じ思いで怒りをぶつけてくれたり
本当にいつもこころに寄り添って下さった温かい先生でした。
息子と私のこころの支えになってくれた感謝を直接話す事が出来よかったです。
3年生の時は、一度も休まず皆勤賞をもらえ
日に日に普通に元気に過ごせている事に感謝でいっぱいです。
温かい先生方のもと高校生活を無事卒業出来たこの日にこころから感謝です。
4年間、ありがとうございました‼︎
そして…
学校が特色ある卒業生として
息子を推薦され
2/28に地域の新聞社の取材をうけ
3/2にもう新聞に載っていました!
早さにビックリ‼︎
新聞に載るなんて恥ずかしいで嫌だと言ってました💦
どんな事聞かれたの?って聞いても言わない息子
少し応えた言葉と違うところもあるそうですが
最後の病気をしてプラスになった!の文を読み前に進めてる事に安心し、成長を感じました。
息子が入院中、病棟の廊下に骨肉腫を乗り越え高校野球に復帰した子の記事を読み
息子もこんなふうに言える日が来ますように!と何度も何度も願い、何度もその記事を読み励まされてました。
息子の記事が同じように今、闘病中の子達、お母さんのチカラになれたら嬉しいです。
来週病院に行く日なので、担当医に渡したいと思います。
大学受験も卒業式も終わり
自由にのびのび過ごしてる息子。
ほぼ毎日うた🐶と一緒です💕