親戚のおじさんが入院したと
連絡が。
コロナじゃないって。
私は行かないから
あとはよろしくお願いします。
って。
おじさんの奥さんは、
認知症だから、と。
連絡くれたのは
奥さんの娘さん。
子どもの頃にチラッと聞いた話を
思い出した。
おばさんは自分の家庭を捨てて
おじさんと一緒になった。
一緒になった理由も理由だったから
親戚の集まりにも少し時間をずらして
2人で来てたんだった。
子どもは作らず、2人で暮らしてた。
おばさんに捨てられた娘さんは
今更面倒なんてみないし
みる義務もない。
そりゃそうだ。
先生の話によると
おじさんはもう寿命で
このまま臓器や筋肉、あらゆる
機能が低下してその時を待つだけ。
おばさんは先生の話を分かってるのか
受け入れたくないのか分からなかった。
おばさんは自分が認知症だと分かってる。
これからどうしたらいいのか
分からないって。
そりゃそうだ。
今まで全部の決定をおじさんに
委ねていたから。
1人で生きる力はなにもない。
今まで自分の存在意義だった人とは
会えるのは骨になってから。
最期を穏やかに一緒に暮らせない。
この世で唯一の娘に
全てを放棄された。
自由に生きたおばさんは
寄り添ってくれる身内はいない。
うちはお父さんの介護と
それぞれの仕事で
申し訳ないけど自由に生きた
血の繋がらないおばさんに
割く時間は、ない。
末路。因果応報。
おばさんは
もう80近くになって
罰を受けて生きなければならない。
今まではおじさんがいたから
おじさんが守ってくれたから
生きてこれた。
ここにきてこんなことになるなんて。
認知症もまだ軽度。
自分で自分がおかしいと思って
自分に襲ってくるものを
1人で抱えないといけない。
相談する人もいない。
あの時。
私は思いとどまって、良かった。
おばさんの末路をみたら
身震いがした。
私は世の中のずるく生きる人に
やめたがいいよ。とは言わない。
響かないし、聞かないだろうし。
なんなら、自分たちは違うから。
と思ってるだろうし。
こんな形で最後の最後に
苦しんで死ぬまで苦しまないといけない
そんなことがあるなんて
ゆめゆめ思ってないだろうから。
悔しいのは、その苦しむ姿を
見届けることが出来ないってこと。
苦しんでもがいて泣き喚く姿を
笑いながらみたいのに。
崖の上から手を差し伸べて
命乞いするおばさんを
笑ってみてるようだって
娘さんが言ってたよ。
今度は私が捨てる番だ。
って。
因果は巡り巡って必ず
我が身に報いとして訪れるよ。
やめるなら、今なんじゃない?
まさに、因果が巡って報復されている
哀れなおばさんをみたら
踏みとどまり、出来うる限りの謝罪をし、
許しを乞う人はどれほどいるだろう。
世の中の不倫に苦しめられている
奥さん、お子さんに届きますように。