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不屈の男 アンブロークン

「不屈の男 アンブロークン」の主人公であるルイス・ザンペリーニは「作られた英雄」であり、その実像は,病的な「虚言癖」の持ち主であった事実を検証していきます。

英雄2
兄ピートの他に、ルイスを更生させた英雄が、もう一人います。ルイスの妻シンシアです。戦後、ルイスは「過去の栄光」を忘れられず、第二の人生をスタートさせることができずに苦しみました。アルコールに溺れ、仕事に就かず、妻と赤ん坊に暴力を振うようになります。その時に妻シンシアが、ルイスを伝道集会に連れていき「改心」「更生」させることに成功しました。しかし、2011年にシンシアが亡くなると、また、ルイスの悪い癖が出てきます。1956年の自伝と同じタイトルで、2003年に「作り話」をさらに組み込んだ新しい自伝を出版します。その後は、小説化、映画化へと進んでいきます。最終的に「英雄」(実際はロクデナシ)として祀り上げられ、一生を終わります。ルイスの実像を知るシンシアが生きていれば、ここまでのデタラメは許さなかったのではないかと思われ、残念でなりません。
英雄1
ルイスを有名にしたのは、中距離走者としての成功です。しかし、これはルイスの独力で成し遂げたことではないのです。むしろ、ルイスの兄であるピート・ザンペリーニの力が大きいのです。ルイスは救いようのない悪童でした。5歳でタバコを、8歳で飲酒を始めました。そして、窃盗を繰り返し、暴力を振う少年だったのです。そのルイスにランナーとしての才能を発見し、導いたのが兄ピートです。この兄がいなければ、ルイスは刑務所人生を送るはずの人物だったでしょう。残念なことに、兄の元を離れた後は、ベルリンオリンピックでナチス旗の窃盗、捕虜収容所で窃盗の繰り返しと、「元のろくでなしルイス」に後戻りしてしまっています。
処刑島5
クェゼリン島で日本軍が「捕虜処刑」を行っていれば、当然、島に米兵の遺骨が残っているはずです。しかし、2002年にナショナルジオグラフィックにより発掘を行った結果「米兵に遺骨は発見されず」、それ以降にも、一切、発見されていません。2002年の調査の際には、ルイスも同行しており、2003年版の自伝内に、ルイス自身が、その事実を書いています。すなわち、ルイスは「クェゼリン島では処刑の形跡が一切ない」という事実を知りながら、「処刑島だった」という作り話を「延々と繰り返して」いるのです。ルイスザンペリーニとは、このように「デタラメな人物」なのです。
処刑島4
ルイスと一緒のクェゼリン島に拘留されたフィリップのインタビューを確認してみましょう。彼は、米国CBSの番組の中で、クェゼリン島での思い出について語っています。「朝、起きたら、おでこにネズミがいたんだよ」という話です。それが彼にとって、最も印象的な出来事だったわけです。このフィリップの言葉も、ルイスの虚言癖を証明しています。「処刑」「斬首」「看守の嫌がらせ」「ヒドい食事と水」「人体実験」などはルイス一人だけが騙っている出来事なのです。クェゼリン島で、実際に日本軍がルイスとフィリップに行ったことは「漂流で死にかけていた2人の体力を回復させる」(日本への航海に耐えられるよう)ことだったのです。
処刑島3
ルイスの「作り話」によれば、日本人看守が、毎日「首を掻き切る」ジェスチャーをして「ルイスが斬首される」と脅してきたといいます。写真は、ルイスがTVインタビューで、日本人看守が行ったジェスチャーを示しながら、話をしている瞬間です。2003年版の自伝の中では「親指で首を掻き切る」仕草を行ったと書いています。この話もルイスによる「幼稚な作り話」です。「手刀、もしくは親指で首を掻き切るジェスチャー」というのは、完全に「米国式」です。当時の日本人の「斬首」のジャスチャーは「手刀で首の後ろをトンと叩く」形です。「あからさまな嘘を、得意になって展開」するルイスザンペリーニ。彼は、本当に深刻な虚言癖の持ち主なのです。
処刑島2
ルイスは、2003年に出版した自伝の中で、次のような内容を書いています。「日本軍が、9人の米海兵隊員を斬首で処刑した事実を、ある原住民が教えてくれた。その原住民は日本軍に仕えており、ルイスを知っているスポーツファンで、英語を喋れた」。見事に全て「デタラメ」です。まず、日本軍は原住民を安全な島へ移動させているので、原住民が日本軍に使われているなど、あり得ない話です。次に、原住民が英語を喋れるというのも疑問です。また、ラジオも新聞もない島で「スポーツファン」「ルイスを知っている」など、あり得ない話です。百歩譲って、ルイスを知っていたとしても、漂流で体重が半分に落ちてガリガリの姿を見て、ランナーとして活躍していたルイスを連想するなど、不可能なことです。ルイスの作り話というのは「幼稚すぎる」のです。嘘をつくにしても、もう少し「リアリティのある嘘」を期待したいものです。
処刑島
ルイスは、漂流中、日本軍に救助され救われた後、クェゼリン島に収容されます。ルイスは、そのクェゼリン島が「処刑島」だったという「作り話」をしています。実際には、日本軍は「捕虜の処刑」など行っていません。クェゼリン島が「処刑島」などではなかった「生き証人」こそ、ルイスとフィリップです。彼らはクェゼリン島に送られても「処刑されていない」のです。彼らは身をもって、クェゼリン島が「処刑島ではなかった」事実を証明しているのです。アンブロークンでは「ルイスが有名人だったために処刑されなかった」という「作り話」がされていますが、それが事実であれば、有名人ではなかったフィリップは処刑されているはずです。また、ルイスもフィリップも、日本軍による「捕虜処刑」など、一回も目にしていないのです。にも関わらず「処刑島だった」「日本刀で斬首していた」という「作り話」を、自伝、アンブロークン、TVインタビューの中で繰り返しているのです。ルイスの虚言癖は完全に病気なのです。
許し3
このルイスザンペリーニという人物は、表面上、実に立派です。「全ての虐待者を許した」実に立派なキリスト教徒です。しかし、本当は全てが「作り話」なのです。彼の自伝、アンブロークン、TVインタビューの中で、彼は「自分がどのようなヒドい虐待を受けたか」(作り話)という話を「憎々しげ」に繰り返しているのです。「許した相手」に対する「作り話の誹謗中傷」を繰り返すのですから、無茶苦茶な人なのです。
許し2
1989年に米CBSで放映された番組の中で、ルイスは直江津捕虜収容所跡地を訪れました。そして、こう語っています。「直江津捕虜収容所で起こったことは、悲惨すぎて、今まで思い起こすことができなかった。でも信じてほしい。今日、ここを去る時から、決して忘れはしない」と。ここも笑える所です。「思い起こすことができず」に、どうやって「虐待者を許した」のでしょうか?。また「思い起こすことができず」に、どうやって、1956年に自伝で直江津捕虜収容所での出来事を書くことができたのでしょうか?次のサイトの最期のほうで、その映像が確認できます。https://www.youtube.com/watch?v=aEGL-wyz1yk
許し1
ルイスは後年になって「虐待者を許すことによって、自分の精神的病(PTSD)が癒えた」という「作り話」をしています。これほど「笑える話」はありません。ルイスは日本人のことを「ジャップ(The Japs)」と呼んでいるからです(自伝の中で度々)。「全ての虐待者を許した」のは1949年。その後、1956年、2003年出版の自伝の中で、何回も、憎々しげに「ジャップ」と繰り返しています。ルイスの話というのは「矛盾だらけ」です。病的な虚言癖なのです。