ケヴィン・ピーク逝く(KEVIN PEEK has passed away.) | ダラダー夫婦さぼちゃんとむしょくんの日記

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skyのギタリスト、ケヴィン・ピークが,2月11日に死去しました。(享年66歳)

AWAKENING/KEVIN PEEK(Ariora,1981年)
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オーストラリアはアデレード出身、もともとはクラシックを学び、ギターは独学でした。

1960年代後半からバンド活動をはじめ渡英し、Terry Britten, Alan Tarney, Trevor Spencer、つまり後のターナー・スペンサーバンドの面々と意気投合、New Seekers や Cliff Richard などのビッグ・ネームのサポートで知名度を得るようになりました。

skyは1979年に結成されていますが、彼は並行してセッション・ギタリストとしても活躍し、Olivia Newton-John, Alan Parsons Project, The London Symphony Orchestra など、多くの作品でその名前を見ることができます。

さらに、このブログでも紹介のとおり、TVやサウンドトラック、そしてライブラリ・ミュージックにいたるまで、実に多彩な活動経歴をもっていました。

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ケヴィン・ピークは、ギター・シンセサイザーの先駆者でもあり、彼の81年のソロ・アルバム「アウェイクニング」では、その荘厳な調べを聴くことができます。

ライブラリ関連では、アコースティックおよびクラシックギターの作品も多くみられ、彼の弾くギターの音色はとてもあたたかく、それはエレクトリックギターに持ち替えてもかわることはありません。

ソロ作品でも、ライブラリからの楽曲や人脈の影響が少なくありません。

意外なのは、そのウォームな音調とは裏腹に、彼はジミ・ヘンドリクスを敬愛しており、ソロ作品のそこかしこに、その影響と思われる曲があるのです。

skyでは、クラシック・ギターで高い技巧を披露するジョン・ウイリアムスと対になり、伸びやで勇壮なエレクトリック・ギターのプレイを特徴としていました。

ジョンは、ケヴィンのギター演奏技術を非常に高く評価していて、「ただし練習しないんだよね(笑)」と書いた記事を、FMfan誌で読んだ記憶があります。

"LIFE" AND OTHER GAMES/KEVIN PEEK(Ariora,1982年)
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ソロアルバムの2作目、右の「ライフ・アンド・アザー・ゲイムス」は1982年のリリースでした。

当時、むしょくんは高校生になり、新調したパイオニアのコンポで、FMのエアチェックに余念がありませんでした。

学校では、部活の弓道に明け暮れており、練習でヘトヘトになって帰宅し、食事や入浴を済ませた後、睡魔とたたかいながら、NHK-FM「クロスオーバーイレブン」を聴くのがとても楽しみでした。

そんなある日、日本の高校生むしょくんが求めてイメージしていた、最高のフュージョン・ギターミュージックが流れてきました。

それが、本作「ライフ・アンド・アザー・ゲイムス」の曲だったのです。

"IN THE TIME OF"という、ギターシンセサイザーの幻想的な音色から始まるたいへんドラマチックな曲が、その日のクロスオーバーイレブンの最後の曲でした。

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曲が終盤に差しかかり、悲壮な終焉を迎えようとしたクライマックスのそのとき、突如フェードアウトしてしまったのです。
番組の尺に合わせて編集されたんですね。

当時、貴重なお小遣いはエアチェック用のテープに注ぎ込まねばならず、レコードを入手したのは、その4年後になりました。

4年間、おあずけになった"IN THE TIME OF"のエンディングを聴き終えた際の感動は、25年以上たった今でも脳裏に焼きついてはなれません。

ソロ作品の中では、本作に収録の”PACIFIC RUN”という曲が、彼らしい機知に豊んだ力強い曲調で、個人的にはもっとも愛聴しています。


彼の(ライブラリを除く)ソロの2つの作品は、長い間CD化されることがなく、ようやく2008年になって、イギリスのVOICEPRINTというレーベルから日の目を見ました。

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いまになっては、彼の遺作になりました。

彼の死因は癌と報道されており、どうも晩年には財政難から刑務所のお世話になったようで、80年代の名声とは裏腹に、ひっそりと他界していきました。

昨今のレジェンド・バンド再結成の波に乗って、skyも、もう一度活動を始めないだろうか、そんな淡い期待を抱くこともありましたが、ついに扉は永遠に閉じられてしまいました。

ありがとう、ケヴィン・ピーク。
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