Days of Decadance
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痛みが与えてくれるもの

NO PAIN NO GAIN


という言葉があります。


一般的に使われている意味より、

直訳のほうが好きです。



何かを得るために支払う代償は、

大きければ大きいほうがいい、という個人的な好みです。


誰もが簡単に得られるものには、心惹かれない。



痛みの先にあるもの。


これもその一つ。



Days of Decadance






















Toshi Tattoo Art Studio


彫敏さん。


いつもありがとうございます。



完治したらまた見せに行きます。




他人の中の自分

他人の中に映る自分と、本当の自分との間に

ギャップを感じることが多々有る。


例えば、自分に10人知り合いが居れば、

10人の自分が居ることになる。


その10人それぞれに映る自分は異なっている。


そのどれもが自分のようであり、

どれも本当の自分では無いような気がする。



人の見方なんて、ちょっとしたことで簡単に変わってしまう。

次の日には、意見を180度変えてしまっている人だって居る。



そう思うと、他人の中に映る自分なんて、何の価値も無いような気がする。



「僕の歴史には、誰も僕以上には詳しくなれない」

とSADSが歌っている。



他人の中に映る自分がどうかではなく、

自分が、自分を客観的に見た時に、どう思うか。



如何に自分を客観視出来るか。


そんな、自分を見る目、を鍛えて行きたい。




Days of Decadance


何故だか、道を撮った写真に、異様に惹かれる。




あの日の憧れ

あの人みたいになりたい。

あんな風になりたい。


という憧れが小さな頃からあった。


もちろん、憧れの対象は年を重ねるごとに

少しづつ変わっていくのだけど。


でも、それとは別に、

「こうありたい自分」

というのもあった。


憧れの対象の影響を受けての

「こうありたい自分」というのが大きかったけど、

徐々に、「自分はどうありたいか?」と

自問自答した末の、「こうありたい自分」、つまり

何の影響も受けていない、純粋な「こうありたい自分」というのが生まれてきた。


「こうありたい自分」を目指して、追いつくには、

ひたすら努力する、という身もふたも無い方法しかないような気がする。


そして、自分があの日の「こうありたい自分」になれたかな?

と感じられた頃には、今の「こうありたい自分」ははるか先に居る。

はたしてこの追いかけっこが終わる日は来るのでしょうか?笑




今の自分は、あの日の「こうありたい自分」に少しは成れつつ、

今の「こうありたい自分」をひたすら模索し、目指す。



理想を追いかける過程そのものが、その人の人生なんかな、と。







いや、やっぱり、あの頃の「」にも未だ未だ追いつけてない!


努力あるのみ!