地域を病棟とすれば、訪問看護ステーションはまさにナースステーションです。
人々の健康を支えていく中で、世界に類をみない超高齢化社会、医療費の高騰、人口減少、災害、テロの脅威。

看護は生活の場の中で、安全に医療を受けられるように支えます。
そのために私たちは、病院から地域へ出てきました。


今回の発表やセミナーではあちこちで聞かれるキーワードは「対話」でした。

患者‐家族、患者‐医師などの「対話」はもちろんですが、患者・家族を支える私たちチームに「対話」は重要です。

それぞれの分野のスペシャリストが「対話」できるチームは、よりよいケアを提供できる。

その通りです。

 

病院では多職種の専門家が揃っていますが、在宅の場面では、そうした人材を探していくことから始まります。病院より困難な状況です。

しかし、そうしたチームつくり・連携を作って行くためのパイプライン役は、訪問看護師だと私は思います。

 

 

また、「緩和ケア」と聞くと、「がんの終末期」「もう治療はない」という思いにつながっています。日本だけでなく、アメリカの場合でもそういう現実があり、

「PalliativeCare」から「SupportiveCare」に名称を変えたことで利用したいという患者さんが増えたという発表もありました。

早期に専門職が介入していける事例を増やしていく事は、人々の「緩和ケア」の正しい捉え方が浸透していく一番早い手段かもしれません。

 

ところで、今回の大会の紹介動画の中に出てくる季節が含まれる詩の一部と蝶の絵は、死への受容の段階を示したキューブラロスの「ダギーへの手紙」とリンクします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんだった当時9歳のダギー少年は「なぜ子供が死ななければいけないの?」という疑問がありました。

 

そこでダギーは、死についての博士と言われたキューブラロスに宛て、手紙をだしました。

 

「なぜ死ぬの?」「死ってなに?」

 

キューブラロスは9歳の少年に分かりやすいように返事を書きました。

神様の愛を繰り返し確認しながら、木の春夏秋冬を例に挙げ、そして死ぬことはまるでかたいさなぎから出てきた蝶のように自由になること、と絵とともに綴りました。

 

それは、全国から集まる緩和ケアを支えるためのチーム員へのメッセージと重なっています。