【垢嘗】




sabatoyaさんのブログ




名が示す通り、垢を嘗める妖怪である。




鳥山石燕の『画図百鬼夜行』には、ぼさぼさの頭で指分かれの無い鉤爪付きの足を持った子供の様なものが、手を頭に掲げ、風呂の脱衣所の陰から覗く姿で描かれています。




人間の垢を嘗める為に、隙を窺っている様にも見えますが、風呂場の垢を嘗めたいのに入浴中だから遠慮しているのかも知れません。




この妖怪の〝素〟にあるのはお風呂のぬるぬる。




掃除を怠ると、ぬるぬるしますよね。また垢抜けや手垢、浮世の垢なんて表現がある様に垢には心の穢れや煩悩、余分なものという意味もあり、故に教訓的な意味合いを含んだ妖怪だとされる事もあります。




しかし、同じ石燕の『百鬼徒然袋』に描かれている天井嘗は、そのまま天上を嘗めている姿で描かれているのに、何故垢嘗は風呂を覗く形で描かれているのか。




それは覗く、ひいては見るという行為に関わってくるのではないでしょうか。




垢は赤に通じ、嘗は舌べろに通じます。そこから導き出されるのは、アッカンベー。




サルタヒコが赤酸漿に似た目で、八百万の神々を威嚇したと言う話が日本神話にあり、そこから赤目には邪視の力、転じて邪視や悪霊を避ける力があると言う説があります。




まぁちょっと飛躍しますがアッカンベーからアカンボウへ転訛して、風呂場と出産に関わる妖怪ではないかと考えられるかも知れません。

和書展に足を運んだ翌日も、終業が早かったので散歩でも、と地図を眺めていたら道の記載も無い山の中に“天狗神社”なるものを発見した。その等高線に囲まれた中、ぽつんと記された鳥居のマーク。それが逆に好奇心を甚くそそり早速その山に足を向けてみた。
家々が立ち並ぶ路地の中に“急傾斜地崩壊危険箇所”の看板が。がけくずれ注意の呼び掛けと共に天狗山との記述が書かれていた。
路地を抜けると遥拝所の里宮、小石の積まれた石の鳥居が現れた。奥には朽ちかけた小さな祠と、注連縄の掛けられた石。これが漫画なら迦楼羅さまに封印された気体生物や、蝦蟇仙人に封じられた邪魅などが出てきそうな雰囲気である。
ここから先葡萄畑に囲まれた道を更に進む。すると道が嶮しくなってきた所で、フェンスにぶつかってしまった。此処まで来て行き止まりかよ、そう思ったがしかし良く見ると猪等の侵入を防ぐ為のもので人間は通行可能な様である。
中に入り扉をちゃんと閉め山の道を進む。息を切らしながら歩き、耳元で鳴る虫の羽音も気にならなくなった頃、玉汗で滲んだ景色に鳥居が見えてきた。恐らくは此処が中間地点だろう。一息着いて更に草木土石の道を進む。暫く行くといよいよ長い石階段が現れた。
多分時間にしたら大して歩いて無いのだろう。この疲労感も普段の運動不足が祟ったのだと考えるのが妥当なのかも知れないが、石段を登り奥宮が見えてきた時は達成感で少しだけ興奮した。
これが山との対話と言うものであろう。
山道はまだ続いていたが右も左もわからぬ山の中、万が一日が暮れてしまったら色々と危険な事もあるだろう。野生動物もいる様だし。そこで素直に足を下りの方に向ける事にした。まぁ無理を通して頂を目指した方が、このクダラナイ文章にも少しは面白みと言うものを付与する事が可能であったかも知れないが道理を引っ込めて寿命が縮まっては元も子も無い。
山を下り、駅前の足湯で酷使した足を癒やし心地好い疲れと共に帰路に着いたのであった。