今日も講義の日でした。


ポッーとする頭が目覚めた記述があったので 紹介させて頂きます。





マリリン・フリードマンさんは、


家族は相互に情緒的に巻き込まれ、地理的に近くで生活している人々からなる。


と定義した そうです。



まぁ 俗に言う 遠くの親戚より近くの他人 と言う意味合いっぽいのかな?




そして 



終末期ケアにおいて、血縁や婚姻関係のあるなしにかかわらず、情緒的に結びついてる人びとを家族と位置づけ、ケアの対象とする柔軟さが求められます。




情緒的に結びついてる  とは?



形だけ家族のもとにいて・・


気持ちは他の人と結びついてるってこと かな?


ケアされる人は・・それがいいかも知れないけど・・(死ぬ間際 愛する人にいてほしいかもね)


わかりにくいから クソ旦那に例えてみます。



クソ旦那は元カノのことが本気で好きだった。


そのことに私は気付いてなかった。


だから普通に介護をする。


でも クソ旦那は死ぬ間際に元カノにいてほしく 呼ぶ。(柔軟さが求められた結果ね)


元カノ 喜んで来る。


クソ旦那は喜びながら 思い残すことなく 大満足で死ぬ。



ケアされる側はここで ハッピーエンド  チャンチャン  よね?



さて 残された私達・・・。。。。。。・・・・・





どーーーーーなる?


どーーーーーする?



真実を知りたくても 死んでしまったクソ旦那からは何も聞けない・・


元カノから聞きだして 泣きわめいて責めたいけど 肝心の責めるべきクソ旦那は死んでしまったから責めることも出来ない・・




結果




や り き れ な い




私は 柔軟さは求めなくてもいいんじゃないかな?と思いますね。



週末期ケアは婚姻関係の特権でいいんじゃないかな?



入院して 愛人が検査結果なんかを聞きに行くなんて考えただけで・・


地獄絵図になる場合もあるんじゃないかな?





そんなこんなを思いめぐらしていたら・・・



私は常々 クソ旦那のことを死ねなんてブログで書いてたけど・・


実際ほんとに死んだら まだ胸の奥にある恨み辛みをクソ旦那に言う事は出来ないんだな・・


今 憎々しげにまだ生きているから いざとなればいつでも言えるということで胸の奥に閉まっておけるのかも知れないんだ・・と。



かと言って まだ死なないで・・とも書きたくないな・・



あっ  とくに 死ね とか 死なないで とか 書かなくてもいいんだけどね"(-""-)"