今日の花
ホマロセファラ属 黄刺綾波が咲いた
伯父さんに習った事
①見習いであるから早くしようとは思うな
時間かかっても良いから間違いをするな
➁間違いは すぐに訂正する事
➂苦情は素直に聞き即答しない事
良いか悪いかは他人が判断する事だから
常に最悪の場合を考えておく事
学校で製図を習い 図面が書けるようになり
伯父の会社も 親父の店も繁盛するようになり
親父も正式に建築業者の登録をした
伯父は私と共に注文者(施主)に遭い その場で
図面を描かせこんな家が建つと示した
これは当時としては珍しい事で注文主は私に感心し
家を建てる気持ちが湧いてきたと云って
注文はほぼ百発百中 受注出来た
ゼネコンT工務店の下請け会社の施工と云う事で
金額は殆ど伯父の言い値で決まる
この内主体工事を親父の店が請け負う
ダカラ私は元値を知っているのです
伯父は元値はお前の親父に絶対に知らせてはなら ない 儲けのすべてを親父に渡してはならない5%はお前が採って貯ておけ さもないと全てお前の親父が遣って無くなるぞ
残す方法は幾らでもある
と云う事でこの頃から私と親父は 親子でありながら
仕事上では 敵味方の様な変な関係になったのです
今日の花
レブチィア属マイライナが咲いた
上から
エキノプシス属短毛丸
2つ目
私の人生に大きな影響を与えてくれた人
昭和22年ころの我が家と家族
右から その人伯父 親父 私 兄 母 次姉 長姉 妹 付近一面瓦礫の山雑草も生えていないころ
この頃から 男子子供のいない伯父は私を 地蔵さん
と云って可愛がってくれた 兄弟と遊ぶよりも伯父の家に行って遊ぶことが多かった
その頃の伯父の工場
伯父はゼネコン T工務店の木工事下請け会社をしていて羽振りの良い暮らしをしていた 親父は大工棟梁として勤めていた
右4人は職人さん5人目が親父 伯母 伯父さんの娘3人
左端が伯父 右端の小さな小屋が事務所
終戦直後の建物は皆このような建物であった
昭和30年ごろには皆瓦葺の2~3階建てモルタル塗りの建物に建替えている
昭和31年中学3年になると授業は進学組と就職組に分けられ 夫々対応した授業がされた 私は家業に就くと云う事でどちらにも就かない呑気な存在でした
そんな時伯父が 大工にするにはもったいない俺のところに来れば建築の学校へ行かせてやると親父に云った
親父は 兄貴の世話にならなくても学校位ワシが行かせる と云う事で入試直前に進学と云う事になり
今宮工高建築科を受験 落ちたら大工見習
幸いにも合格
合格後 どういう訳か知らないが月¥3000で学校行く事
仕事の無い時は伯父の会社に行くよう言われた
黄宝青が咲いた
工高2年になると建築の講義が始まり 製図を習い
図面が書けるようになった
これにより伯父の会社の仕事することが多くなった
伯父の ワシが学校へ行かしてやる と云う言葉が無ければ私は大工職人で終わっていたかもしれない















































