昨日は、お茶の裾刈りを1人刈り用のお茶刈り機でやりました。


今日は、息子と一緒に2人刈り用で浅く均しました。


お天気も良く、穏やかな日差しのもとで作業をしました。


約1時間で終わりました。



イメージ 1

写真を撮ると息子が『それだと逆光じゃん!!?』と言われ・・

イメージ 2

反対側から撮りました。(#^.^#)


右側がナラシをしたばかり、左側が今から均す場所。

イメージ 3

去年5月にお茶刈りをしてからナラシをしましたが、こうして短いお茶やら長くなったお茶があります。


同じ株でも、こうして長さが違いますね。


根は同じなのにね。


兄弟姉妹でも同じですよね。


同じ世界に生まれてきても、このお茶の木のように違う長さになりますね。


同じ根から生えてきたのに、同じ様に均したのに違いが出来るって何だろうか?


お茶刈りが終わったから成長を止めたもの、まだまだ成長したいんだと言って大きくなるもの、目に見えない所で成長を止めてじっと機会を伺い、もう一方では、自分はもう少し成長をしたいと言って大きくなるものもありますし。


それでも、もう一度ナラシをすれば傷つくものや、そうでないものと分かれる。


傷ついたものは脇芽から葉を出し、傷つかなかったものはそのままの状態で葉を出し。


同じ様に収穫される。


それらが上手く混ざり合ってお茶として飲める様になる。


どんなに高みを望んだとしても、自然環境の前では皆んな同じなんですね。


そんな事を感じさせていただきました。


均して落ちたお茶っぱは下に落ちて又土に還ります。


人も同じなんですよね。


お茶刈りで、ふと感じた事でした。


今日も元気で怪我もなく無事に終わりました。


いつもありがとうございます。


【信心は話を聞くだけでは十分ではない。わが心からも練り出すがよい。】


感じたままを書かせていただいています。m(_ _)m