主人とばあちゃんが、それぞれのデイに行った後で、私は荒れたお茶畑の草刈り作業をしていました。
午前中だけだけどね~。(#^.^#)
小雨のぱらつく中でやっていました。
風が無かったのが幸いでした。(≧▽≦)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190623/14/saakomasakuni2/b1/79/j/o0480064014477970724.jpg?caw=800)
やり始めてから切れ辛かったので、刃を見たら普通の刃でした。
ススキや細い木などがあるので、これだと切れないので、刃を替えました。
のこぎりの様になっていて刃の数の違いで細い草や硬い草に対応しています。
硬い草もあるので刃の数が多いものに変更しました。
イノシシが荒らすので、辞めたお茶畑の作業です。
草は生えるし、茶の木は大きくなるので、維持だけになっています。
手がかけられない分、こういうことは維持しなくちゃならないんです。
そのままだと次の世代に迷惑がかかりますからね。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190623/14/saakomasakuni2/e9/74/j/o0640048014477970730.jpg?caw=800)
一本竹が生えているところまではやれると良いな~と言う感じでやっていました。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190623/14/saakomasakuni2/71/f9/j/o0640048014477970738.jpg?caw=800)
お茶の木の間の草を切って行き、茶の木に覆いかぶさっている草は草刈り機の刃で撫でる様にどかして、茶の木の間に鎮圧していきます。
一度だけ主人のお姉さんが私のやっているところを見て楽だと思ってやった事があるんですね。
主人が倒れた年だったかな~?
それ一回ぽっきり。
お姉さん曰く『あんな大変だとは思わなかった。やってみたら大変だった。』って言っていました。
意外と大変なんですよ。
草刈り機は通常横移動で刈っていきます。
しかし、これは、刃を縦にして茶の木の間に草を押し込みながら、茶の木にかぶさった草をどかしで鎮圧していくので、コツがいるんです。
草を刈るときにあまり細かくしちゃうと花粉症のような症状になってしまうんですね。
それにも注意しなくっちゃなんですね。
だいぶ慣れたのですけどね。(^^ゞ
こういう作業をしながら考え事をしているのです。
今はどういう状態なのか?
自然と人とって考えているんです。
そして、色々な事が言われていますが、どこからの発信なのか?
神様もいろいろいますからね。
一番上の神様はどのように見ているのだろうってね。
怒っている神様が大半かもしれないけど、、
一番上の神様は?
神様も人もおんなじなんだけどな~。
ってな感じで考えています。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
怒られないように自分のやれることをただやるのみなんだけどね。
人間にとっての悪い事は自然災害とか人災とかでしょ。
これってどっちも昔を紐解くと必然な事でしょ。
知識の知らない人をあおってセミナーに参加っていう人のほうが多いよね。
一人一人がしっかりと根を張っていれば、答えは自分の中にあるって言っているじゃん。
少人数での開催をすれば、省電力で出来るよね。
地域の底力を発揮できるよね。
大きくなると走り回らなければならなくなる。
一人一人が『社』になれば、地球全体がやっぱり『社』になるんだよね。
そういう事を考えながらタンクの中の混合ガソリンが無くなるまでやっていました。
竹がある所までって思ってやっていたら、目の前で終わりました。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190623/14/saakomasakuni2/3a/45/j/o0480064014477970756.jpg?caw=800)
まだもうちょっとありますが、今日はこれで終わりました。
草刈り機を使うと手がしびれるんですね。
何千回転の機械を使うので危険も伴いますからね。
無理は禁物。
途中一回イノシシが穴を掘ったであろう場所があり、そのままズボッと穴にはまってしまいました。(≧▽≦)
スーッとはまったので怪我はありませんでした。
ただやれば良い訳ではないんですね。
その辺のことも注意しながら、先も見ながらやるのですよ。
これって人と接する時にも応用がきくんですね。
人と自然っておんなじなんだもん。
普段農作業して人と話す機会が無くっても、こういう事でも自然の中で感じているんだと思います。
だから、人と話していると応用が利くのかな~って思っています。
介護もそうなんだけどね~。
人がやらなさそうなことをやっていると感じ方が人とは違うんでしょうね。
みんなが元気になっていくというのかな~?
いつか?1/20位に70代の知人と電話で話していましたが、親せきの人に又嫌な事を言われたと話していました。
その時に感じたまんまを話しました。
その後のメールで
『話が出来て良かった。言われたように考え方で気持ちが変わると思ったよ。やっぱりすごいと思ったよ。若いのに素晴らしい心遣い 相手の事を思いやる人だとつくづく思います。本当にありがとうございました。』
表行と心行とがあるのですが、こうして話してしまうと心行では無くなっちゃいますね。(^^ゞ
しかし、話し方で人は変わるものなんですね。
話の持っていきようが変わると相手も変わるんです。
それって、話し方を変えたのは自分なんですよね。
良く言われますが、相手を替えるためにはまず自分からだって。
言い方を変えるだけ。
視る視点を変えただけ。
変わろうと思えば変われるんです。
言葉を言霊に変えるだけ。
これって自分だけ居れば良いじゃん。
道具も何もいらないよね。
神様は言葉を言霊にしなさいって言っているんじゃないかな~?
人を思いやる心は神様からのものだからさ~。
それって、あったかいんだからさ~。(o^―^o)ニコ
なんか?ものすごーーーく脱線してないかい?(●^o^●)
確認作業を怠らないでって言っていますが、その後は、良い方向性になるように働きかける事です。
嫌な方向性になるのは誰でも嫌だもんね。
自分を信じるって、思いやる心を信じるってことなんだと思う。
それって神様だもん。
生き神様だもん。
お夕飯後に、お父さんの食事用のエプロンを外に干しに行った際に、お礼を自然に向かって言うのですが、今までと気が違っていましたね。
ハートがソフトボールだと例えて、バスケットボール位の大きさで包まれた感じでした。
強いというのか。
あったかいというのか。
その後には、0時ちょっと前は周波数?が少し変わったのか?電気系統がうるさかった。
何分かだけだったけどね。
猫ちゃんたちがそわそわしていたな~。
性質が変わってきているんだね。
まだ、伊勢白山道の本を読み終えていません。(^^ゞ
ちょっとずつ読んでいます。
その中に、『自分の心に神を感じる事が出来るのか?』とありました。
これ分けている人がいますね。
外に置いとく人が。
これだと争いごとになります。経験上。
思いやることは外からではなく自分からなんですね。
これ、直感を信じなくって教義を信じるので、どうしても遅くなっちゃうんです。
教義も解釈を間違えると別物に代わります。
お気を付けください。
お茶の草刈りからいろいろな事を書いてしまいました。
すみません。m(__)m
皆さんに暖かな光に包まれるように。。💝✨
いつも、ありがとうございます。