今日は、午後から認知症家族会がありました。

今日は、最近になく参加者が29名。

15名くらいが、ボランティアさんや地域包括支援センターや施設のケアマネさんが来ていて、あとは介護者さん。

初めての人もいました。

ばあちゃんの実家の近くの人も夫婦で来ていました。(帰ってから、ばあちゃんに聞いたら知っていると。)

今日は、私は自己紹介のみ。

皆さんの話を聞いているだけでした。

その中でも、初めての人たちの中には、介護をする上での言葉かけが良いな~っていうことが多かったですね。

『褒め上手』

『奉る』

『よいしょ』

『包み込むしかない』

『今困っている人を救いたいという気持ち』

話を聞いていて、伊勢白山道さんのブログの記事の事を思い出しました。

『性別を超えた人』2010.11.20の記事。

介護を行う人には、行動力、愛情力、忍耐力という総合的な人間力が必要。

今も介護を、たとえ仕事であれ身内であれ行っている人は、最高の修行をしている。

ただし、自分がイヤイヤしていれば駄目です。

人への介護を真剣に良心に沿って行っていれば、それはどんな宗教的な修行にも勝る。

他人への介護をすることを通じて、愛情力や慈悲の意識が高まりますと、観音力とも呼べる霊的磁器が体内で高まります。

自分が意識していなくても、心に居られる内在神から授かる。

人が人を介護する・助けるとは、その人の内在神をも助ける尊い行為なのです。

霊的には、他人を介護する人間は、自分自身を救っている事になるのが霊的真理。

-----------

これを思い出したんです。

観音様や菩薩様が多いな~って。

聞いていて癒されていました。

経験していた過程では様々なことがあったと思われます。

それを力に変えて乗り切った先を話してくれているな~って感じました。

そういう人たちの会話を聞いていると、やはり良い方向へと向かっているんだな~って気づかされます。(年相応の体力は、また違いますが。)

そして、介護する側される側が穏やかになっているということが聴かれました。

奥さんを介護しているご主人の言葉は、『今困っている人を救いたいという気持ち』でされていると話してくれました。

そして、『神はお前の仕事だから』という事も話してくれました。

これも聞いていて『仕事』が『志事』という事も思い出しました。

ブロ友さんからのやり取りの中で出てきた言葉です。

そして、以前の話ですが、犬養毅のお孫さんが聖書研究をしていて、『こんな事をしている場合じゃない。』と気付かれて、海外にボランティア活動に行ったという事を知りました。

これって、【奉仕】ですね。

これも思い出しました。

先生からの話の中では、【病を見るより人を見よ。】という話をしてくれていました。

私は、お義父さんを看ていた時に、ふと【人として看る】という事が閃きました。

お義父さんだから、お義母さんだから、お父さんだから、お母さんだから、主人だから、奥さんだからという感情を抜きに出来るやり方じゃないかなーと気付きました。

たまに必然の時には話をしてきています。

そして、話の中には、『介護される側の環境が大事だからという事ですが、介護している環境はどうしたらいいのか?8割くらいは出来るけど、残りの1~2割は難しい。これを埋めるにはどうしたらいいのか?』という介護者さんもいました。

施設のケアマネさんからは、同じ境遇の人と話す事で独りではないんだっていう事を話してくれました。

私、全部の話を聞いていて感じた事は、

『バランス・距離間を取る事。』

『同じ仲間と分かち合う事。』

『完璧を求めなくても良いんだっていう事。』

これが大事だな~って思いました。

それも、皆さんの話を聞いたことと、思い出したことと、両方を受け止めて感じた事で、この三つを感じる事が出来ました。

そして、これらの一番の主な事は、

【感謝をすること。】

これに尽きると思います。

私、こうも感じました。

介護される側が完璧に出来なく・やれなくなったのに、どうして介護する側が完璧を目指さなければならないのか?

あとの1割は、任せるでは駄目なんでしょうか?

10割出来たら介護保険必要なくなりませんか?

施設利用も必要なくなりませんか?

そして、大事な事は、10割出来て、介護される側が気が休まるのでしょうか?

もう一つ大事な事は、その1割を神様に預けるという事。

独りでは、たかが知れていますが、周りの人たちや見えないものへの感謝の言葉かけをしていかれれば、私はこれで良いと思っています。

それから他の人の話の中には、親切丁寧にしていた介護でしたが、本人から非難されてしまったという事が聴かれました。

良かれと思っていたことでもです。


イヤイヤやっている介護であれば、距離を置けばいいと思います。

要は、バランスを取るという事です。

アンバランスの状態での介護はお互いの負担になっているんだと思われます。

家族で出来た愛情も今までありましたが、時期が来れば、他の人たちからの愛情を受け取る時期に差し掛かっているんだと思います。

愚痴が言えるには仲間であり、支えあっていける存在でもあります。

今日は、見習うべき徳を積んだ人たちに出会えたことに感謝です。

予習を今までしてきて、今日の話で復習を聴かされていた感じでした。

農作業でもそうでした。

自然農法でやると決めてやり始めてからの親子での農業体験での企画。

この時にも、予習を自分でやって、親子体験の時に復讐をしている感じがしていました。

こういう時には、必ず必然だって思う事がたくさんありました。

ありのままの自分で、これからもさせていただこうと思います。

皆さんもこれからの自分の人生を大事にされて、周りも大事にされていってくれたらと思います。

色々な事を気づかせてくれた存在達に感謝です。

いつも、ありがとうございます。

感謝の言霊と光を。💖💝