介護の事で学んだ事というか、視させてくれた事です。
2012年10月21日に書き留めてあった事です。
放送されたのは、もう少し前かな?
メモ書き形式で書かせていただきます。
看護師であって、牧師である≪エリザベス・マッキンレー≫さんを取り上げていました。
【スピリチュアルデレクター】
聞いたことがありますか?
認知症に寄りそう。
『スピリチュアルデイレクション』-----
1人の人に一定期間寄り添いながら人生の旅を支え、振り返り、その人に関わる方法をいう。⇒人生の経験に、「意味」を見出すように助ける。
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神聖な領域に足を踏み入れ、未知の旅を歩み始めた。:光栄=認知症の人のスピリチュアルデイレクターは未知の旅←挑戦
これまでの人生で大切にしてきた事、辛い経験など、生きてきた歴史の中に、生きる意味を見つける手がかりを見つける。
-------------------昨日(2015.11.28)調べた大事な事↓
私の命は、私に与えられた贈り物なのだ。
この与えられた命で、何をするのかが大事なのだ、と。
神は、この命を他の人の為に使う事を望んでおられるし、私には与えるべきものがあると、自分が信じている事に気づいたのです。
神は、人と話す事は出来なくなり、全てを失ったような人間でも包み込んでくださるほど大きな存在ではないのか。
それとも最も神を必要としている人間の傍には居てくださらない様なものなのか。
良い時だけ、そこに居るような神は、神ではない。
すると、十字架にかけられたイエスが心に浮かびました。
認知症の人たちのためにも、神はおられる、という事を信じないならば、イエスが私たちの為になさったことを否定することになりはしないか。
自分自身が心にどういう神のイメージを抱いているのかを問われた。
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『知っている』という事は人に名札を貼る事ではないのです。
その人の心や魂と深く繋がっているという事です。
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【スピリチュアル回想法】-----
出来ない事ではなく、出来る事に注目する。
この違いはささやかですが、重要です。
『私は私である』という感覚を取り戻す助けになる。
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認知症が進んでも生きる意味は持ち続ける事が出来る。
問題は、本当の私にどこから繋がっていけるのか?
宗教?スピリチュアル?花の綺麗さ?身の回りのもの?音楽や芸術?
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≪リック・ムーデイ≫アメリカの小説家 1961~
『老いる事は、私たちが「する人」から「いる人」へ、そして、「なる人」へと移っていくために自然の修道院なのだ。』
歳をとるに従い、身体と心、魂の繋がりがより強く密接になり、本当の自分になっていく。
------------以上-----
2012年を振り返ってみると、様々なことがありました。
しかし、前年のほうがたくさんありました。(^^ゞ
2011年がもっと酷かったですね。
お米作りでは、田植えをしてからの水を抜かれる嫌がらせ。
数人の知り合いに相談しましたが、この年は稲刈りをしませんでした。
もうお米作りが出来ないと思いましたね。(´Д⊂グス
軽トラックを車検に出してから故障を直すと数回言われての廃車と、車屋の社長からのほぼ脅しに近い事を言われる。
主人の事では、在宅介護になってから5月に初めてショートを利用しました。
しかし、家と間違ったらしく、お尻を動かしたみたいでベッドから落ちたという連絡が入りお昼に見に行きました。
何とも無く済みました。(´▽`) ホッ
この事があってから、ショート中も気が休まらずにショートを利用させていただいてても眠れなかったですね。
普段の生活の中で目の前に居る時と、ショートステイに行っていて目の前に居ないという事の不安。
この時期は、ケアマネさん1人目でデイケアを利用していた施設のケアマネさんでした。
春先には、父の具合が悪く酸素を使っていたので療養病棟がある病院へ預かっていただいていました。
しかし、なかなか行こうとしなかったので、半強制的に連れて行きました。
具合が悪いと母を寝かせずに一晩中背中をさすらせていた状況だったのです。
それなのに昼間ウトウトしていると怒られていたので、2人を離す事を目的として寒い時期に入院という事で話し合いました。
様々な事情を考えての事でした。
主人も以前預かってもらっていた病院です。
しっかりと相談員さんと看護師長さんに話して対応していただきました。
お見舞いや在宅へ帰るための話とかも看護師長さんや相談員さんと話し合っていた時期ですね。
訪問看護や往診、ヘルパーの利用と色々な事をしていました。
ヘルパーの利用時にお酒を購入したという事もありましたね。
父の対応は、大変でしたね。
主人もこの年には、けいれんの発作で薬(イーケプラを2錠→3錠に。)を処方されたり、脳波の検査に総合病院へ行ったり。
高熱で咳が止まらなくなって検査してもらったら腎結石と言われ。
年末年始の長い休みの時の数回の為にお風呂改修の相談をした際にデイでのお風呂は入られなくなると言われ、一週間デイをボイコットしたことも、この年でしたね。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
母のケアマネさんを変えたり。
10月には喘息の発作で入院。
12月には父が亡くなり、葬式の間主人はショートではなくデイを利用。
ヘルパーをしている知人に相談してデイの看護主任さんに話して、その事をケアマネさんに話してくれて、葬儀が終わってからショートの利用。
その後、これをきっかけにケアマネさんを変えました。
色々な事がいっぺんに起きていましたね。
このほかに同時進行で畑の作業やお茶刈り、タケノコ堀をしていました。
良くやれてな~って。
しかし、身体は悲鳴を上げていました。
右のひざの骨が出てきて、介助するときに痛みが走り、自然形体に通っていました。
体の震えもあったので整体の先生に病院受診を勧められたこともありましたね。
ひざの痛みは、先生からは介護施設に勤めている人が職を辞めるほどの症状で介護か農作業の何方かを辞めなさいって言われましたね。
この時には、精神的なことも重なり、守護霊さんにどこかに行ってくださいって毎日のようにお願いしていましたね。(∀`*ゞ)エヘ
様々な事が起きて、2012年に入り、良い事が置き始めてきましたね。
3月には主人のケアマネさんを変更。
前年の『認知症家族支えあい交流会』に参加した際に知り合いの人が家族会の会計をしていたので、家族会へ入った年ですね。
田んぼの事は前年に嫌がらせを受けて、しばらく出来ないだろうと思っていたのが、話し合いで出来る様になった事。(4月に話し合いがあったので、種もみがなくて、この年はやれませんでした。)
4月13日に、夢で?起きがけに目の前を龍が顔の近くに向かってきましたね。
蛇とワニの両方を合わせた感じで生々しかったですね。
体の中に入って、大っきな悩みをなんだかかじってくれた感じでしたね。
体の中を通ってむずむずしていました。
嫌な事を食べてくれたのかな?(o^―^o)ニコ
7月20日には、初めての熱中症を経験。
その時は、お昼を食べてから少し横になり、気持ち悪くなって吐いて、頭痛、首周りの痛み、右後ろの痛み、眩しさ、血圧132/180
すぐに病院へ行きましたが、主人のデイの帰りの時間に間に合わなくなるので途中で帰ってきてしまいましたね。(^^ゞ
7月23日には、仏壇からパワーを頂いたみたいで調子が良くなりました。
この時期に、金光教の創始者の本が主人のタンスから見つかって読んでいました。
似たような経験をしているな~って読んでいました。笑
8月3日には、息子が伊勢参りに1人で出かけ、帰りが遅かったので電話した直後にトンネルで車両火災。
間一髪だったと。
熱中症は、その後も毎月の20日になっていて、8月も具合が悪くなり点滴をしてもらいましたが、次の日もなりました。
それから、ずっと体が重苦しくなり、浜松のフオーラムに行った時にツムラの人に『補中益気湯』を知り飲み始めました。
10月くらいまで毎月の20日に具合が悪くなっていたので、この時期からでしょうか?
精神世界や、超能力者(木村藤子さんの本や上地一美さん)の本を購入して読んだり、スピリチュアル関係の事が気になり始めていた時期でしたね。
スピリチュアル関係の本は、この時期はあまり興味がありませんでした。
しかし、金光教の本を読んでから、『お知らせ』というのを知り、自分に当てはめてみました。
手の震え・・・右人差し指→メールが来るとき
左腕を叩かれる?つつかれる?→誰かの連絡があるとき
足のピクピク・・・右→午後か明日出掛ける用事が入る。
左・・・すぐの出掛け。
声・・・挨拶する声→その日に来るか会う人の声
11月25日にメモしてありました。
色々な事が数年の間にありましたね。
こうして、経験によって今の自分が居るという事。
【スピリチュアルデイレクター】の事を知ったのも必然だったんだと改めて感じました。
これ、忘れてたんですね。(^ー^* )フフ♪
私って今、認知症に限らず、人と寄り添う事をしているな~って。
2012年10月17日に書き留めていたことが、、
【人を思いやる心】
人が喜ぶ事を第一に考え、自分の好意が人に通じようが通じまいが、自分の内に他を思いやる清い心が起きた事をありがたいと喜びなさい。
人の喜びと自身の喜びとを考える。
〈例〉-------
前掛けでも、二つあれば、良いほうを人にあげる様にする。
良いほうをあげれば、それだけ人が喜ぶ。
自分が良い心にならせてもらえば、ありがたいと思うように。
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人が喜ぶことであれば、骨身を惜しまずする。
平気で損する事が出来る。
------------以上---
これを読んで、
【損して徳をとれ】
メモ書きしてありましたね。
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昨日調べた中に、イエスの事が書かれていました。
先週、エ○バの証人さんに話した事と同じ事を話しました。
裁く事は、イエスの死が無駄にしている事。
命は、与えられた神様からの贈り物。
その命をどう生かすかが生きている証なのではないのだろうか?
『スピリチュアル回想法』も、出来ない事を探す事ではなく、出来る事を小さなことでも探してあげる事が大事なんだと気づかされましたね。
これも出来ない、あれも出来ないと探すよりかは、これ1つだけ出来るよっていう事を探す方がお互いが良い気持ちになれるような感じですね。
この当時は、ネットで調べる事が出来ませんでしたが、分からないなりに自分で考えて行動した結果が今の自分であると考えています。
辛い時期もありました。
リストカットもした時もありました。
死にたいという時期もありましたね。ZAADの人が亡くなった時期だったな。
そういう事を乗り越えての『今』があります。
逃げずにやっていた介護でありますし、試行錯誤でやっていましたし、独りぼっちの時もありましたし、その中でも自分が出来る事をしていたのは、今現在介護真っ最中の人たちも同じです。
どちらの向かって進むのかは自分自身で感じる事なんだと思います。
自分が感じて進むことに怖さもありました。
しかし、立ち止まっても否応なしに進んでいく日常と介護。
一歩がちょっとでも良いんじゃない?
少しでも進んでるんだよ。
立ち止まっていても後ずさりしていないよ。
自分を信じて、、自分の出会った人たちを信じて、『今』を大事にして行ってほしいと願っています。
もう、これ以上傷つけないで!!!
貴方に出会えた事はかけがえのない私の財産でもあるんだよ。
自分の身体、大事にしていってほしい!!
会えないけど、そばに行けないけど、、見守る事は出来ると思う。
元気な声を、姿を見せてくれたらと願っていますからね。
長文、申し訳ありませんでした。m(__)m
出会いに感謝です。
生きていることに感謝です。
いつも見守っていてくれて、ありがとうございます。
愛と感謝の光を、貴方の元に。💝