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8/19から書いていましたがようやく書けました。
 
【2009.4/3の様子】 
100均で買ってきたボールを持たせる。
 
中は綿が入っているが、それだけでも握力がなかった。しかし、手のリハビリになるかな~って持たせていた。
 
本人は、ミカンだと思って口に運んでいた。
 
私『お父さん、ミカンじゃなくって残念!!』
 
少しにっこりした。
 
早く食べたいんだろうな~。
 
この頃は、作業療法をすることが多くなってきました。
 
今日は、ベッドに座らせていました。
 
こうなってしまうと、座る事も自分でできなくなってしまうんですよね。誰かが支えていないと倒れていきます。
 
体重測定をするということでリクライニングタイプの車いすに座らせていただいた。
 
少し廊下を散歩しました。
 
その時に自分から足をあげてどのくらい動くか確かめていました。
 
左足を10センチくらいしか動かなかったけど、なんて思ったのかな~?
 
4月の第2日曜日に、親しい仲間内でたけのこ掘りをすることを主人に話した後での出来事だった。
 
毎年楽しみにしていたからな~。
 
生きる希望になってほしいな~て思った。
 
 
 
【3月までの振り返り】
2月に倒れてICUに2週間入っていました。
その時気づかなかったのですが、知人のご主人もいました。
通路ですれ違った時に気付き、ご主人が大動脈瘤とのこと。
精神的に自分も辛かった時でもありますが、何とか励ましの言葉が出ていたと思います。
ほどなく転院していきました。
 
主人のこれからの治療方針を聞くために主人のお姉さんにも連絡を取りました。(2/7)
その時には、お義母さんの妹の旦那さんと隠居のおばさんを連れてきていた。
私は『一瞬なんで連れてきたの?』って思ってしまった。
隠居のおばさんは、主人と同じくらいの年の息子さんを介護中でした。
管につながれている主人を見れば、自分の息子さんの事を思い出してフラッシュバックしてしまわないか心配になってしまった。
なので、『ICUには入らずに待合室で待ってて。』と言った。
しかし、おじさんのほうがうまく看護師さんに言って勝手に入ってきてしまった。
(心の声:お姉さんと言いおじさんと言い、どういう神経出来ているの?)
この件があってから見舞い制限をかけていただいた。
それでも悪いかと思ってお姉さんだけは良しとしましたが、入ってくる時の名字が旧姓で言っていました。(今の名字で言いなさいよ~。)
 
息子の高校の担任のK先生が千羽鶴を持ってきてくれました。ありがたかったです。『お気遣い、ありがとうございます。』
いつ何が起きても分からない状態でしたので、携帯電話の着信音が怖くなっていました。
そして、家の前で倒れたので玄関を開ける音も怖かったです。
必要以外は玄関の鍵を閉めるようになっていましたね。
テレビをつけて水戸黄門を見せたり笑点を見せたりしましたが見たことないと。
完全に記憶から消し去られていました。
2/20に一般病棟5階A病棟に移りました。
見舞いに行ったら一般病棟に移るということでした。
しかし体位交換の時に頭蓋骨を外している左側に思いっきり顔を向けていたので左目のあたりが真っ青になっていて看護師さんが慌てて顔だけ真上に向けていました。(殴られたような色だった。)
まずは個室に。
そしたら主人の二個後輩と言う看護師さんがそのことを話してくれました。少しホッとしました。
2/24にベッドをエアーマットに変えた。看護師さんから、この病院で褥瘡になったことはないんですって言っていた。
担当の看護師さんから『今後の事をどのように考えているのか?』と聞かれたが、全く知識もない中でどのようにって言われたも答えられなかった。
相談する人もいなかった。
息子の高校の部活の保護者は知られていましたが、私の身近な人はまだ伝えていませんでした。
 
2/26に親子を対象に味噌作りをしました。
お味噌屋さんのお嫁さんと担当になっていたので、参加しました。
母親クラブの会長さんには伝えましたが、ほかの人には伝えませんでした。
みんな楽しく作っていました。煮た大豆をビニールに入れて足で踏みつぶすので子供たちは楽しんでいました。
やって良かったです。
でも3/2に一緒に担当になっていたお味噌屋さんの知人が家にやってきました。
味噌つくりをする前の一週間前から知っていたという。
涙を浮かべながら、私が普通にしていたので余計につらかったと話してくれました。
2月はこれだけしか予定に入れてなかったから出来たと話した。あなたと一緒だったから出来たという。
余計に泣かせちゃった。『ごめんね。』
 
3/2に、息子の同級生が転院してきて、足元のベッドに。
びっくりでした。
無免許でバイクを乗り、誤って田んぼの中の水路に友人と落ちてしまって、寝たきりになってしまっていました。
頭は手術せずにそのままと聞きましたが、脳が動いたせいで体を動かせなくなっていました。
友達が来たりしていましたね。
そういう時には、カーテンをしていました。
知っている親御さんは声をかけてくれていました。
 
このくらいになるとちらほら近所の人たちがお見舞いに来てくれました。
 
3/24の手術の説明を18日に聞いた時には少し不安になっていた。
同意書もすぐには書けなかった。
 
付き添いの人とは少しずつ話が出来るようになってきたけど、このころは看護師さんとの話はまだぎこちなかった。
心にバリアをしている感じかな~?
精神的にきついと、人が風景と一体に見える。
この時は誰かと話す以外は感情がなくなっていた。
唯一足元にいたNさんが看護師さんの呼ぶ声が大きかったので笑えた。
 
付き添いをしていると看護師さんの足音で誰だか分かるようになってきた。
背の小さい看護師さんはパタパタ歩く。存在感をアピールしているみたい。
背の高い看護師さんは静かに歩く。
 
主人は体温調整が出来なくって一番涼しいベッドのところにいたので私は寒かった~。
ホッカイロはICUから手放せなかった。
 
今回はここまで。
 
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。m(__)m