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【金光教ご理解集より】
『金神様を信心しても、その人の心でおかげは受けられるのである。私は取次をするだけで、私がおかげをもらってあげるのではないから、今月今日がありがたいと思って、あなたがよく信心せよ。その心におかげが受けられるのである。』と話してくださった。

『無理に参るにはおよばない。どこの家でも金神様をまつっていない家はないから、朝夕、手を合わして、今日もおかげをいただかせてくださいと言って拝めば、それでよい。遠方を参って来るにはおよばない。』と仰せられた。そこで、『忙しくて、朝でもご拝礼を怠るようなことがありはしないかと思います』と申しあげると、『それはまあ、用があっても、やはりお願い申しおいて、それから仕事にかかるがよい』と言われた。

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皆んなが分かるように宗教というものが出来ました。

見える人だけではなく、見えない人の為にそれらがあったのかと思います。

しかし、今からは【社】は、あなた自身でもあり、その場その場でもあります。

本物を伝えている人を認め合う事。

本質を理解しあう事。

その人が、何を伝えたいのかを先ずは感じてみて、神様からのものであるのか、人からのものであるのかを見極める目を養われてください。

人からのものである場合は、あれが駄目、これが駄目、あの人は気をつけなさい、騙されないようにしなさい、色々と言って来る人がいるかと思います。

あなたは、そのアドバイスを信じますか?

その人は、しっかり確かめてから付き合っているのであり、あなたは噂を信じるのですか?

あなたは何を信じているのですか?

噂を聞いて、自身でも確かめてから、神様からのものであるのか、人からのものであるのか、見極める目を養われてください。

たとえ、どんな偉い先生であったとしても、『確かめる事』、それを怠っている先生は本物なのですか?

本物は、その人に合った話し方をします。

なので、人によっては⁇という時もあるでしょう。

その人に合ったやり方を伝えているだけなのですから。

しかし、調和を考え、事に当たっていれば、必ず神様が良き方向へとその人やその人の周りの人や私でさえも導いてくれると信じてさせて頂いています。

エゴで話している人は、マイナスな言葉を発しています。

そして、同情でも同じ事があります。

友達の為に、より良き方向へと導いていないのであれば、それは本当に友達の為にされるアドバイスなのですか?

友達が救われるアドバイスや心が満たされるように導いていってほしいと願います。

言霊は、シンプルで、尚且つ、心の真の部分を暖めて包み込んでくれるようになります。

いつか言われた事があります。

『小百合さんは小百合さんのチームがあります。』

同じ文面ではないかもしれませんが、この様に言われた事がありました。

私は、調和に向かう為には必要な事なのかもしれません。

なので、そのままにしました。

しかし、それは人としての視点であり、神様からの視点ではありません。

私は、この世の全ての人達が、1つのチームとして考えています。

姿形があるのですから、限られた出会いの中で事に当たるのには限界は確かにあります。

私は、この世の中の全ての人が1つのチームとして、考えてやっていっています。

天理教に出会い、金光教に出会い、聖書に出会い、それらは全て平和に通じる道になっています。

それを歪めているものを正していく事が今事に当たっている人たちなのです。

その人たちは、偉ぶらず、控えめで、和やかで、時として強さを見せます。

その人たちは、神様からの愛を知っている人たちなのです。

マイナスをマイナスで返さず、マイナスをプラスに返していく術を身につけています。

最後に感謝の言霊を伝えている人です。

その見極めをされずにいる人にも愛の言霊の感謝を伝えてくれています。

私に直接コンタクトを取らずに親しい仲になっている人にコンタクトを取り、『騙されている』『気をつけなさい』『宗教に勧誘して来る』『あの人はやめなさい』と言われた人がいます。

私の代わりに嫌な思いをされた人が少なからずいます。

この様にして神様は私を守り導いてくれています。

しかし、私よりももっと苦労をしてきた友達が盾となってくれている事が申し訳なく感じています。

その事も、人を見極める事の学びでもあるのです。

私は、言います。

『その人を嫌いにならないで下さいね。その人たちは、自分の持っている知識の中での理解なのです。神様は、その人のみならず周りも私たち全ての調和に、平和に導く為にこの様な事をされます。だから、その人を嫌いにならないで下さいね。その人の心が救われる様に願って下さい。』

これを分かりやすく伝えています。

私は、難しい話は出来ません。

光を与えて頂き、自分だけにとどめている人が多いです。

光を知り、その光がどの様に良いのかを伝える術を身につけていないからです。

人を差別する為に光を与えたのではないからです。

光を与えられ、差別している人は、神様へのお礼をも差別しているのでしょうか?

光を与えられ、それでも心を曇らせている人を知りました。

光を与えられた人は、分け隔てなく光を与えていく事が、神様へのお礼ではないでしょうか?

私もそうですが、今一度神様からの視点で、ものを、人を、見ていかれてほしいと願います。

あなたは、私の心友を傷つけている事と同じ様に、あなたの心友を傷つけている事を知って下さい。

あなたが傷つけてしまった心友を癒すのは、あなたの神聖な言霊なのですから。

そして、傷つけてしまった心友は、許してくれます。

それが、神様からの贈り物なのですから。

【愛】は、全ての人に光を与えています。

長文、大変失礼しました。☺

私も含め、あなたの優しさが神様からの贈り物だと気づいてくれる事を知ってくれると良いですね。

ありがとうございます❣️😊

感謝します。😃✨💝💝💕✨✨