今年のドラマは、なんだか心理ものが多い気がしませんか?
LADY~最後の犯罪プロファイル~
CONTROL~犯罪心理捜査~
ホンボシ~心理特捜事件簿~
悪党~重犯罪捜査班~
示談交渉人 ゴタ消し
Dr.伊良部一郎
脳科学の次は心理学を流行らせようと業界が動いているのかもしれませんね。
その原因を探ってみると意外に海外ドラマだったりするのかもしれない。
最近海外で人気の「メンタリスト」「クリミナル・マインド FBI行動分析課」も犯罪心理学を取り扱ったドラマです。
私は、行動分析学を学んでいるので、クリミナルマインドは時おりDVDで観ています。
とても面白い反面、精神を病む人の怖さも恐ろしいほど伝わってきます。
いずれのドラマにも言えることですが、これらのドラマで心理学を知ったつもりにはならないほうがいいと思います。あくまでもこれらはドラマですからね。
もし、これらのドラマで心理学に興味をお持ちになられたのなら、ぜひ自分に合う学術的な書籍を探してお読みになることをお奨めします。
みなさま、おはようございます。
今後のネット動向について考えてみたいと思う。
近々Googleの新しいOS、Android3.0がいよいよ登場する。
そのオフィシャルプレビュー映像が1月上旬にネットでも公開された。
メーカーも意外に素早い対応でTOSHIBAがAndroid3.0を搭載したタブレット端末を2011年春リリースを目指しているようだ。それも自社名の冠をつけているのだから力の入れようが伝わってくる。
http://thetoshibatablet.com/
今年は、WindowsOS、AppleのiOS、AndroidOSの三つ巴で、それぞれ得意とする端末でのシェア争いが激化しそうな予感がする。
今後のOS主導権争いが楽しみになってきた。
今後のネット動向について考えてみたいと思う。
近々Googleの新しいOS、Android3.0がいよいよ登場する。
そのオフィシャルプレビュー映像が1月上旬にネットでも公開された。
メーカーも意外に素早い対応でTOSHIBAがAndroid3.0を搭載したタブレット端末を2011年春リリースを目指しているようだ。それも自社名の冠をつけているのだから力の入れようが伝わってくる。
http://thetoshibatablet.com/
今年は、WindowsOS、AppleのiOS、AndroidOSの三つ巴で、それぞれ得意とする端末でのシェア争いが激化しそうな予感がする。
今後のOS主導権争いが楽しみになってきた。
今日は、私の「学ぶ」定義について少しだけお話しようと思う。
私が、普段「学ぶ」と読んでいる行動は、勉強だけを指しているわけではない。
学ぶという行動を2つに分解してみると、「記憶すること」と「考えること」に分けられる。
さらに記憶は、覚えるだけでなく想起できることが大事であり、考えることは、深く考え理解したり創造したりすることが大事である。深い理解や創造を得るためには、相応の記憶と想起の力が重要になるだろう。
このことから、学ぶとはなにか?という問いに答えようとした場合、
理解の数を増やし新しきことを創っていく行動ということではないだろうか。
特に専門的な学びを行っていなくとも日々の生活の中から人は多くの経験と理解を得ることができるはず。
人にその「学ぶ心構え」さえあれば。
そして、もうひとつ大事なことがある。
学ぶ者と学ばざる者という二極で考えたとき、学ばざる者を学ぶ者は見捨ててよいのだろうか?
それはまるで信じる者は救われ、信じぬものは滅びゆくというような思想にも思えてくる。
私自身の経験からいうと誰もが初めから学ぶ心構えを持っているわけではないと思う。
ゆえに、学ぶ者は、学ばざる者すらも理解する深い器が必要なのかもしれない・・・。
私が、普段「学ぶ」と読んでいる行動は、勉強だけを指しているわけではない。
学ぶという行動を2つに分解してみると、「記憶すること」と「考えること」に分けられる。
さらに記憶は、覚えるだけでなく想起できることが大事であり、考えることは、深く考え理解したり創造したりすることが大事である。深い理解や創造を得るためには、相応の記憶と想起の力が重要になるだろう。
このことから、学ぶとはなにか?という問いに答えようとした場合、
理解の数を増やし新しきことを創っていく行動ということではないだろうか。
特に専門的な学びを行っていなくとも日々の生活の中から人は多くの経験と理解を得ることができるはず。
人にその「学ぶ心構え」さえあれば。
そして、もうひとつ大事なことがある。
学ぶ者と学ばざる者という二極で考えたとき、学ばざる者を学ぶ者は見捨ててよいのだろうか?
それはまるで信じる者は救われ、信じぬものは滅びゆくというような思想にも思えてくる。
私自身の経験からいうと誰もが初めから学ぶ心構えを持っているわけではないと思う。
ゆえに、学ぶ者は、学ばざる者すらも理解する深い器が必要なのかもしれない・・・。
