それから、どうした?   ~ sa0ri の日記 ~

それから、どうした?   ~ sa0ri の日記 ~

2008年、Ⅰ型糖尿病になりました。
健康だけが自慢でした。そんな私の日常です。
発症後の出来事を、書き記していきます。

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ババ様、施設に入居して一ヶ月。

 

食事の時に、向かいに座る おばあさま

父や叔父の顔を見ると 「おさむちゃん」 と呼ぶ。

職員さんの話では、弟さんでお仕事が忙しいのと遠方で、

なかなか面会に来れないらしい。    

別の家族が、面会には来ているみたいだけれど、会いたいのだろう。

 

「おさむちゃん」と、自分の息子が呼ばれて、不思議なババ様。

私に こっそり 「名前、変えたんだね・・・」 と、真顔で言った。

笑いをこらえながら 「 芸名 じゃない?」と、返す。

 

別の日。

私の名前をはじめ、自分の息子の名前もわからず。

誕生日も間違え、年齢も10歳以上若い。

柿を 入れ歯なしで 完食。

 

また別の日。

この日はじめて、「家に帰りたい」と兄に言う。

「家に帰っても、車椅子だと困るでしょ? リハビリがんばって」

と、励ましたようだけど、どう思ったかな?

 

数日後、「自分でできる」事を証明しようとしたのか、

トイレに行こうとしたようで、ベッドから落ちた。

幸い、掛け布団が先に床に落ち、その上に落ちたようだ。

 

この日以降、帰りたい欲求が高まる。

「生まれ故郷に行きたい」 と、言ってみたり。

私に 「たすけて」 「誰か常に ここ(部屋)に、いてほしい」と言ったり。

 

誰もいない日中に

 「ここから出してー」 「たすけてー」 「いじめられてるー」と、

父と叔父の名を叫んだらしい。

それを聞いた叔父、またベッドから落ちたら困る と、

ベッドにセンサーを付けて起き上がると、センサーが反応して

部屋の入り口から音が鳴るようにした。

 

そんなことをしたら、職員さん鳴るたびに見にいかなくちゃならない。  

少数で複数の人を介護してるのに、そんな事できないだろ。

 

自分の母親を大事にしているのは良くわかった。

でも、ここは集団生活している場所なんだから、

ババ様だけ 特別扱い できるわけない。

センサー付けてるのに、音が鳴ってるのに対応が遅い!

なんて、クレーム入れる気ですか?  恐ろしい。

 

あなたの娘婿が、介護士なんだから、相談したらいいのに?

それとも、してこのありさまなのか?

 

本当に呆れてしまった。

 

結局、一日でセンサーは取り外されて、

叔父が毎日 センサーの代わり をしに部屋に通うのであった。

 

そんなこんなで、2016年は終わり。

ババ様もばぁばも、激動の一年になった。