父の記憶は〝こわい〟それ一択。


殺されるかもしれないって思いながら生活をしてた。


父は毎日お酒を飲んでた。

父の友人が経営する居酒屋でよく酔っ払って帰宅した。


深夜0時〜2時前くらいには帰ってくる。



引き取られた最初の頃は毎日毎晩泣き続けた私に怒鳴り散らしに来るだけだった。


だけど、それが落ち着いてからは

些細なことや過去に解決した問題を掘り起こしては怒鳴られた。



父が帰宅する時

必ずドアをガチャってする音の後に乱暴に鍵を開ける音がするんだ。


だから私は今でもドアを開ける音が大嫌い。


鍵がない時はインターホンを鳴らして

ドンドン叩くから


インターホンの音にも敏感に反応して飛び起きるし

ドンドン叩かれる時も身構える。


ほぼ毎晩、ほぼ毎回起こされるのは姉じゃなく私だった。


階段をのぼる大きな足音に怯えながら

自分の部屋のドアが開いた瞬間〝終わった〟と思う絶望。


そして決まって叩き起されて

下に降りてこいと指示をされる。



春夏秋までは耐えられる。

だけど1番辛いのは冬だった。


暖房もきいてない。

コタツに足を入れることも許されない。


次の日が学校だろうが関係ない。


そんな状態で深夜に起こされて

父の目の前で正座をさせられる。


朝の5時〜6時くらいまで

父が寝落ちするまでの間ずっと。


ずっと怒鳴り続ける父。


それが毎晩続いてれば子供だった私にも疲労感が出てくる訳で

眠気も凄くてウトウトするし、足も痺れてどうしても途中で崩してしまう。


その度に更に怒鳴り声は大きくなった。



時には炊きたてのご飯入りの陶器や汁物が入った陶器が顔目掛けて飛んできた。


火傷もする。


だけど冷やすことは許されない。

指示されるのは『片付けろ』



時には電動ドライバーをおでこに突きつけられたこともあった。

『俺はいつでもお前を殺せる』って言われた時に


あぁ、この人にとって本当に私はいらないんだ。

娘としては一生扱ってもらえないんだ。

いつでも殺せるから今生かしてもらえてるだけなんだ。



そう思った。




年末が近かった時の真夜中に

姉と私の両方が起こされたことがあった。


今から大掃除をするとか意味分からんことを言われて

怒らせるのは面倒だから2人とも目をこすりながら渋々下に降りた。



姉は台所だった。



そして私は父にお風呂場に連れていかれて

真水のように冷たくなった浴槽の水を桶ですくって


頭からかけられた。


正直(やばい。寒い死ぬ。)って思った。


そして父に言われた言葉は


『着替えることは許さない。そのまま掃除しろ。そうすれば眠くなることは無いだろ。』


だった。



結局早朝まで続いた掃除。

怒られるのは面倒だから一生懸命掃除したけど

水をかけられてビショビショに濡れたままだったから


手足は真っ青、震えすぎて寒い通り越して激痛。

最後の方はスポンジを握るのさえ難しいくらいに手は動かなかった。



姉が『パパチ寝たからもう寝よう。さやちゃん早く着替えた方がいいよ。』って呼びに来てくれて

やっと着替えれはしたけど布団に入っても寒すぎた。



父はいつも寝落ちする。

それに気付くと必ず姉が呼びに来て『寝て大丈夫だよ』って言ってくれてた。



半分くらいは父が起きた瞬間

『何寝てんだ!!』って怒鳴りこまれてたけど。



小4の頃から胃が痛くて痛くて

泣きながらよくうずくまってた。


学校で。


それに気付いた先生が『病院に行った方がいい』って言って

車で送ってってくれたりもしたけど


私が高熱を出して死にそうになってる時しか

父は病院に連れていこうとはしなかった。


お腹が痛いから病院に行きたいって頼んでも

連れてってはもらえなくて


結局胃の痛みで病院に行けたのは中3の時で

ストレスによる〝過敏性胃腸炎〟だと診断を受けたし


ドクターストップもかかった。


家では虐待、学校ではイジメ。


こんな生活をしてれば私にも反抗心が生まれるわけで

それがあったから今でも父の友人達は『お前が悪い』って言い続けるんだと思う。




仲間はずれとか、悪口を言われるとかなら全然耐えられる。

だけど暴力は耐えることが出来なかった。



ただただ痛かった。


飛び蹴りをされてロッカーに打ち付けられた時も

男子にひたすら肩パンをされ続けたことも

授業中にいきなり背中を『もーみーじ!』って勢いよく叩かれたことも

野球の硬式ボールをバットで打って的にされたことも


先輩の悪口なんて言ってないのに

『悪口言ってましたよ』のガセネタで先輩達に呼び出されて罵声を浴びせられたことも


その次の年に


部活の集会中に


先輩『この中に私達(先輩)の悪口を言ってる人が居ます』

同級生【だ、誰ですか!?】


これ聞いた時〝またかよ〟って思った。


案の定、私が名指しされて

ガセネタを吹き込んでたのは仲良くしてた同級生達だった。



顧問の先生が変わったあとはもっと酷かった。


その先生はお気に入りの生徒しか可愛がらない。

だから気に入ってない生徒の扱いは本当に酷くて

全てミス扱いをされて、ミスをした人は腕立て10回。


1日300回とか腕立てさせられて

それが更に酷いと先生が1って言ったら腕を曲げて

2を言われるまで腕を上げてはならない。


崩れ落ちてしまったらやり直し

耐えられずに腕をあげようとすれば押さえて上がらないようにされる。


先輩にも先生にもそんな扱いをされるなら

部活に行く意味無いじゃんって思って2年の途中から行かなくなった。


卒業アルバムの部活のところにも載ってない。


先生に来るように説得されたけど全部断った。


校長先生とは仲が良かった?

優しく接してもらってたから事情を説明してあったし

無理に行く必要なんてどこにもないって言ってもらえたから


卒業するまで名前だけ所属になった。



用具も買ってもらったのに

私が行かなくなったことと

イジメにやり返すどころか負けたことが気に食わなかった父は


目の前で用具を壊した。


壊され慣れてて、その頃にはもうどうでもよかったけど。




夜中に父の部屋に呼ばれて

クローゼットの前に立たされて怒鳴り散らされた時

いつもと違うから困惑した。


いつもなら正座をさせられるのに

何で今日に限って立たされるんだろう?って。



その意味はその直後に判明する。


父は私の顔スレスレ目掛けて食器を投げた。

陶器を勢いよくクローゼット目掛けて叩きつけた。


顔の真横で割れる食器。


悲鳴をあげながら泣き叫ぶ私と

割れる食器の音が繰り返されて


でも座ることは許されなくて立たされ続けて

自分に当たるかもしれない恐怖心が強かった。



それに気付いた近所の人が

只事ではないと警察に通報。


父は『親子喧嘩だ』と言った。

警察はもちろん注意をして終わった。


そして父は〝お前のせいで警察を呼ばれた〟と逆上した。



私が泣き叫んだから

心配してくれたいつも優しいお隣さんが通報したんだ…


そう思って次の日私は近所の人達に


『絶対何があっても通報しないでほしい。

どんなに泣き叫んでても危ないと思っても通報だけはしないで欲しい。

止めに来る必要も無い。

うるさいのは申し訳ないけど…お願いします。

心配してくれてありがとう。』



ってお願いをしに行った。

父が迷惑をかけるのは嫌だったから。


児童相談所も出てきたし

民生委員の人も相談に乗ってくれたけど


児童相談所は『料理自分で作れるなら大丈夫ですね!』って言われて終わりだった。


本当に役に立たないと思う、児童相談所。


存在する意味ないんじゃない?



父にお金を借りてそのまま返さずに逃げちゃった人達が

父の友人の中で1番優しかった。


なるちゃん

私が高熱で死にかけてた時

真っ先に駆けつけて抱えて病院に連れてってくれてありがとう。

家に帰ってきた時も抱えて運んでくれたの今でも覚えてるよ。


ももちゃんのお母さんとお父さん

ももちゃんは意地悪すぎて大嫌いだけど

お母さんとお父さんは優しくて大好きでした。

いつも面倒見てくれてありがとう。

庇ってくれて、大好きな塩おにぎり作ってくれてありがとう。

本当に美味しかった!


お隣さん

沢山心配して、いつも優しくしてくれてありがとう。

そして通報しないでなんて無理を言ってごめんなさい。

たまにご飯作ってくれたりもして

畑で収穫したお野菜分けてくれたりもしてくれてありがとう。


Mさん

父や父の友人達からの圧から守ってくれてありがとう。

イルミネーション見に行かせてくれて本当に嬉しかった!

門限が過ぎたことで怒られるって怯えてた私と一緒に

父に謝ってくれたことも、ありがとう!



Kさん夫妻

いつも何やかんやで庇って

優しくしてくれてありがとう。

父が仲良くし続けてた人達の仲で一番優しかった。本当に。

蕎麦だったか…うどんだったかを作るのも楽しかった!




私は地元に帰らない。

帰ることもないんじゃないかと思う。


父の友人達の『お前は病気って言葉に甘えてるだけだ』って言葉や


結局父と同じで姉は良い娘、私は出来損ない扱いしてくるのが耐えられないから。


半分は父と過ごしてる分

私も凄く気性が荒いと思う。


でも基本〝我慢〟をしてしまうから

あなた達に会うと凄くストレスが溜まるんだ。


変な可哀想基準も聞いててイラッとくる。


泣きながら何を話すのかと思えば


『さやが一番可哀想だった。

3歳くらいの時かな?

パパとえりちゃんが楽しそうに手を繋ぎながら買い物をしてる後ろを

しょんぼりトボトボ歩きながらついて行く姿が本当に可哀想でさ…』



じゃあ、声掛けてやれよ。

見てるだけだったくせに何泣きながら語ってんだおい。


親戚の家と父との家を行ったり来たりしてたんだよね。

いつか一緒に暮らす時が来るからって慣らすために。


多分その時の話なんだろうけど

保育園のイジメが酷すぎたのは記憶にあるけど

ほとんど覚えてないから覚えてたくなかったんだと思う。


保育園の先生の後ろをついてまわってた。

お友達なんて居なかったし、嫌がらせをされるから

同じ保育園だった人の記憶は正直ない。


愛知の子達は覚えてるけど

埼玉の子達は誰一人として覚えてなかった。


そのくらい嫌いだった。


だから姉が送ってくれた時

置いていかれるのが嫌で門乗り越えて脱走して


走って追いかけて『置いていかないで!!』って泣きながらしがみついてた。


今思うと姉大変だっただろうな…汗



私は今でも人の怒鳴り声が嫌い。

ドアを開ける音もインターホンも人の気配も。

そして頭を搔くとか、棚の上の物をとる時とかの

腕を上にあげる動作が1番嫌い。


〝殴られる〟って思っちゃう。


元彼はそれを笑って馬鹿にしてたけど

本当に恐怖を感じる。



相手にも不快な思いをさせてしまうから、その度に謝ってきた。



私はよく寝言で怒鳴るらしい。

誰かと喧嘩をしてるってよく言われる。


そんな時高確率で夢に出てくるのは父。


体に残るような傷はない。

だけど心の傷がかなり深いと思う。



一番嫌だった父との思い出を書き出したけど

これはごく一部に過ぎない。


これは6年間続いたのだもの。


こんなペラッペラの薄っぺらい内容で終わるわけが無い。



だから叔父さんに向けての記事の時に

父の虐待も許すことは出来ないって書いた。


葛藤もあったんだろうけど

許すことは無いんじゃないかなって思う。


無意識に出てしまってるし

日常生活にも支障が出てるくらいだから。



母が父を裏切らなければ

私も父に娘として扱ってもらえてたりしたのかな?


って何度思ったか。


でも父に会いたいとは思わないかな。

いつか歳をとってあの世で会うことがあったならば

一発ぶん殴らせてほしい。


でも、会いたくはないから現れないで欲しいかな。