2月から老衰で入院していた母が5月に亡くなりました。
徘徊や妄想など介護に追われていた私ですが、最期の1ヶ月は認知症が治り仲睦まじい関係を築く事が出来ました。

どうやらレビー小体型認知症ではなくパーキンソン病だったらしいです。

誤嚥性肺炎にはじまりうっ血性心不全から多臓器不全、内臓からの出血、苦しみ抜いて亡くなりました。
何度も延命について話し合い、本人も意識があり理解していたため、酸素と最低限の点滴をすると言う方針になりましたが、これが地獄だった。

空腹だけど飲み込む力がゼロになり食べられない辛さ、点滴が入らなくなり首からの皮下点滴になったことによるミトン装着。
あまりにも可哀想だったため、私が面会してる時はミトンを外す許可をもらったので、仕事を休んで1ヶ月毎日病院に通いました。

最期の2日は泊まり込みましたが、私がうたた寝してる間に亡くなり、結局看取れませんでした。

最期までマヌケな娘で申し訳なかったです。
死ぬ数時間前に交わした最期の会話は、売店から戻った私に「おかえり」と声をかけてくれた言葉でした。


一番申し訳なかったのは、入院中ずっと家に帰りたがっていたのに介護をしたくなくて帰らせなかった事です。数時間でもいいから帰りたいと懇願されたのに帰らせませんでした。面会に行くといつも車椅子に座って一人で外を眺めている姿が頭から離れません。


まだ状態がそんなに悪くない時に1泊でも帰宅させれば良かった、ミトンで拘束などせずにもう少し楽に見送るべきだった、折角泊まり込んだのに何故うたた寝したのかなど、後悔ばかりです。


お葬式の時に近所の方から、母がかねてから、自分が死んだら遺される私が心配だから死ねないと言っていた、いつもあなたを守ってくれてたんだよと聞かされ、母の愛は海より深いと感じました。


お母さん、ありがとう、大好きだよ!