自分の心の声を聞いて意思決定すること。それがなおざりになると人は自分の本音を見失い、自由に生きているようで実は主体的に生きていけない。惰性で繰り返された人生を送ることになる。心の声とは、誰しもが心の奥底に持つ、瑞々しい原始的な感情のことである。
人は褒められれば嬉しいし、否定されれば悲しい。この感情は、本来人間が当たり前にもっていたもの。嬉しいときは笑えばいいし、悲しい時は涙を流すのだ。子供の時は誰でもそれが気持ちよかった。そのナチュラルな感情の流れを阻害する最も大きな要因が、社会適応である。
社会に生きる以上、人は人と共存する運命にある。しかし、自分の周りは必ずしも好ましい人ばかりで構成されてはいない。合わない相手と社会活動をともにするために、人は心に壁を作る。自分の大切な部分を守るために。
心の壁は決して悪いものではない。大人になるにつれ、誰しもが構築するものだ。問題は、自分が傷つくことを過度に恐れ、心の声を聞く前に壁を構築してしまうことだ。本来なら数多あるはずの選択肢を、当たり障りのない1つに限定してしまうショートカットのようなもの。楽に生きることと引き換えに選択する権利を失ってしまう。
出る杭になることを若いうちから恐れてはいけない。怖いかもしれないが、意思決定には必ず心の声を入れる。そうすることで、周りから反発や承認をされる度、心の声は少しずつ形を変え整っていく。それが本当の成長である。痛みを恐れては強くはなれない。
同時に、この痛みは責任を持って受け止めなくてはならない。自分が自分を大事に思うのと同じだけ、他人も自分を大事にしている。決して自分だけの都合の良いように世界は回っていない。時には配慮不足から、間違いを犯すこともあるだろう。それでも、自分の筋を通しているのだから、堂々と自分の誤りを認めればいい。
この一連の経験を経た上で、尚自分の道を突き進むか、それとも社会の色に染まっていくかは、もはや当人の自由である。強い人になるためには、心の声に耳を澄ませて自分の行きたい方向をきちんと知る、そんな自分をもてなす態度がまずは必要になってくるのだ。
