アンコのブログ

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 夫とのこのできごとは、ハラスメントや虐待やいじめにも関係があります。被害者意識だと人に存在感を感じてもらうことに集中してしまいます。依存です。人に何かされるのではと恐怖を感じたり・とか。

私が昔感じていたさみしさは、きっと親に愛されたことがなかったから。でもその親を責めるのも違うのです。その親も多分自分の親に愛されておらず、子供の愛し方がわからなかったのですから・・・・。だから思います。子供のことを無条件に好きになってあげてください。そのために自分のことを好きになってください。ありのままの自分を受け入れてください。(これはいじめられる側はもちろんのこと、いじめる側にも同じことが言えます。)悲しい思いを自分のところで終わらせるのは、しんどいけれど終わらせましょう。

 

鬱になった最初のころ私は、いじめられていたことばかりを思い出し、毎日泣いていました。今の自分の考え方になるその途中は、簡単ではありませんでした。が、無条件に自分を好きになることを知って、今はそのころのことを「こんなこともあったなあ」と振り返ることができるようになりました。

 

こんな私でしたから、子供への心配は半端ないものでした。が、娘はいじめられたことはなかったといいます。これは私の人生でとても大事な自分への課題のクリアーです。

 

でも、自分の意識を変えてみても、本当に嫌なことをいう人もいるものだと思います。そんな時は、それが正しいのかはわからないけれど、勇気はいるけれど、そこから逃げるという選択肢もあるのだと思います。

 

最近実家の私物を見つかったものから断捨離?しています。中学生の頃の交換ノートが出てきました。そのまま捨てるのもなんだかなあ(時間はかかるのですが、写真の整理と同じようなものか)と読みながら捨てることにしました。これが、かなりのマイナス思考でした。これでは周囲の人も疲れてしまうかなあ?と今の私は思いました。

私の時代と違っていじめの状態も変わっているだろうから、今なら私どうなっていたかな?とか、自分のことがそのまま適応できるのか?とは思いますが、だからこそ、そこから抜けたいと思う気持ちが強くて、いろんなできごとが起こり、そこから自分を許すことを知って、自分を好きになったのだと思います。

今も昔も、根本に流れるものは同じでは?と思っている私だけれど、こんな考え方で、解決できるいじめや虐待ではなくなってしまっているのでしょうか。

 

1部の人としかかかわっていない私なので大きな声では言えませんが、そこではさみしさを感じることはなくなりました。

 

もう1つ昨年におこったできごと。自分の過去を褒められました。それなのに、何もしていない今の自分に、自信を無くしていた私は、なぜだかその過去がとても恥ずかしく、もう過去のことは言わないで・という気持ちになりました。もしこの時の私が、充実して生きていれば、笑って流していたことだろうと思います。自分の心の状態で、人の言葉に対する自分の反応が変わる・という話です。これもハラスメントに通じるところがあるできごとだと思います。

 

ただでさえ世の中の変化が速いのに、産後から引きこもりに近い生活をして、ついていけていない私です。外に出る勇気というか機会が見つからず(ここが問題なのだけれども) こんな自分は受け入れてもらえるのか・と不安で、いまだ世界の狭い私です。

外に出たときに昔とは違って、嫌なことを言われることがなくなるのか、何を言われてもいい意味での鈍感な私でいられるのかわかりません。

こんなふうにもがいている私が言うのもちょっと・とか、机上の空論か?とも思います。自分が病気をしてからも、もうずいぶん経ちます。医療もずいぶん変化というか進化しています。(随分と言い訳をしました。)

私の周りだけ時間が止まっているようで、ブログを休んでいた間にも時代が進んで久々に自分の書き留めていたものを読むと、自分でも古いか~と思うネタがたくさんあります。でも、時代遅れでも書き続けるだけです。

 

病気は心の深いところからのメッセージ・と自分の病気を、人生を通して知りました。病気は大変で、しないでも気付くことができたらいいけれども、悪いものとしてとらえるものではありません。

病気も含めていろんな出来事には意味があって、いろんなことを教えてくれる、それぞれの人の成長につながっている・ということころは、今も変わっていないと思っている、いや思いたい私です。