こんばんは、ここんとこ日記返信のタイミングを逃してしまう拓朗です先日日記に書いた七輪BBQですが、13日土昼に決行します日時813土1300喰い飽きるまで場所和泉多摩川河川敷今んとこの面子俺にんじん嫌いさんとくももさんさとぴろさんの四人、わりかし邦楽ギターロックが主食の人達です。多分俺と趣向の近い音もだちなら絶対楽しいと思いますバンプアジカンエルレテナーラッドピロウズアシバイントライセラレミフジユニゾン藍チャットねごと高橋優怒髪ゴーイングシロップバクホンアートランクミイラズオバ犬あまざらし鴉グドモクリープフラッドミドリカワピロカルピンアンリミせかおわ時雨斉藤和義スピッツミッシェルブランキーブルハXスカパラケムリ椿屋たむらぱん小林太郎焼いてる間はこんな感じのラインナップたれ流し続けたいと思います七輪持ってって音楽聴きながらひたすら魚、肉を焼くそれだけ食材、紙皿、箸、炭などは俺が用意しますんで、類とどうしても焼きたい食材だけ持ってきてくれればあと数人ぐらいだったら飛び入り参加大丈夫ですもし今から参加したいって人はここに書き込んでくんなまし
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実家での最終日、外食しようと決めた。ここからが問題、誰が犠牲になるか車を出すと飲めない人が1人酒です今日はあいにくの雨車で分のくら寿司に決めたしかし、みんな飲みたいから、この雨の中、カッパを着て自転車3台で行く事にした。うひひアホやなぁでも、なんかカッパ着て、家族でチャリをこいで、くら寿司に行くと言うアホな行動を幸せに感じた満腹食べて来たよ
モーストリークラシック8月号にサイモンラトルのマーラーに関する興味深いインタビューが掲載されていた。ご自身のマーラーは、どんなスタイルだと思われますか全くわかりません。ただ私は、この作曲家にずっと惹かれてきました。これまでの人生で、常に重要な位置を占めてきたと言えるでしょう。でも歳をとり、人生は変化します。例えば交響曲第3番は昔から大好きで、いも圧倒されましたが、この曲を本当に理解したなどということは、考えられませんでした。でも今、私は東欧人に囲まれて暮らしています。妻のマグダレーナコジェナーは、チェコ、ボヘミアの出身です。またベルリンフィルの2人の首席トランペット奏者は、ハンガリー人です。その1人が今回、第3楽章のポストホルンを吹くと、旧オーストリア帝国の音調であることがすぐに分かります。また家でマグダレーナが子供に歌って聴かせる子守歌は、第3番と同じ根源を持っているのです。それが私に目を開かせてくれます。そして私の中に、新たな意味を与えてくれるのですベルリンフィルのマーラーとは団員の多くが言っていることですが、我々のマーラー演奏は、間違いなくクラウディオアバドに負っています。彼はマーラー演奏史において最も重要な指揮者の1人です。そしてベルリンフィルに、マーラーのあり方そのものを教えてくれました。カラヤンは何度かマーラーを指揮していますが決して、自分の作曲家ではなかった彼にとっては、ブルックナーとシュトラウスの方が重要だったのです。アバドは、かてバーンスタインがウィーンフィルにマーラーを教えたように、ベルリンフィルにマーラーを叩き込みました。現在の両オケのマーラー演奏は、まさに彼らのお蔭です。ゴッドザイダンクありがたいことにカラヤンにては昔、カラヤンと談話した時に、二の印象的なことを言われました。まずベルリンフィルは、イギリスの庭園のようなものだということ。単に水をやるだけでなく、刈り込んだり、雑草を取り除いたり、手入れをする必要がある。一日でもそれを怠ると、きちんと整ったイギリス庭園のようには見えないのです。なんと正しいことばでしょうもう一はこの楽団では、首席指揮者になっても最初の5年は準備期間だということ。当時私は、その言葉を信じませんでした。だって回は演奏しないとベルリンフィルは乗りこなせない。私自身はこれまで2度やっただけなんですけどね苦笑。私が来た時、ベルリンフィルは素晴らしく演奏してくれましたが、彼らが私に返してきた響きはフルトヴェングラーのそれでした。そして私は、フルトヴェングラーではなかった。カラヤンのような偉大な人でさえ、5年かかったというのです。私の場合、7、8年かかりました。このクラスのオーケストラと付き合うには、時間が必要です。素晴らしいのは、ある曲を数年後にもう一度演奏してみると、最初の時よりずっと簡単になっていることです。もちろんどの音楽も易しいということではありません。でも、今やってみると、昔よりずっとすんなりと行きます。我々は、新しい地点に到達したのです。ベルリンフィルのようなオケとこの段階に至ったならば、もはや実現できないことはない、という気がしています第二次大戦から何年十年も経って、メンバーも全て入れ変わっているはずなのに、ラトルの時代になってもフルトヴェングラーの響きを返してきたというのには驚いた。団員から団員へとオケの伝統は受け継がれていくものらしい。それでいて、完成ということはなく、常に手入れが必要なのだ。バーミンガム市響と録音したマーラーの復活にづき、ラトルの今度の新譜もバーミンガム市響と録音したことのあるシェーベルク。芸術家の探究心には際限がない。高性能のベルリンフィルを自在にドライブさせることができるようになった今、過去に録音した曲を、そのオケでより完璧に仕上げ、記録として残したいということだろう。インバルがマーラー、ショスタコ、ブルックナー、チクルスを繰り返し録音するのも同じ欲求だと思う。録音技術も格段に向上している。もマーラーをで再録音しているのも同じだと思う。ただ、私としては知情意のバランスの取れたラトルのマーラーというのはあまり面白くない。少しぐらい録音や演奏に傷があってもバーミンガム市響の野心にあふれたラトルのマーラーを好む。なぜなら、マーラーという作曲家自身が、知情意のバランスどころか、どちらかというと狂気に近い神経症的なところのある作曲家だったからだ。マーラー指揮者の系譜で言えば、ラトルが絶賛するアバドと、バーンスタインが共に心酔するミトロプーロスのデォニソス的な演奏を抜きにマーラーは語れないと思う。そういば、彼はギリシャ人であった。まあ、カラヤンもギリシャ系だが、がマーラーを苦手としたことには、大いに賛同する。