学校においての発達障害に対する認識 | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

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ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
HP URL:nekomama.site


この10年近く、年に数回…という単位で 学校の先生と子供達の事で話をしてきて、今、思うことを。


次男が高学年に差し掛かってきた頃から。
「発達障害」というものへの「学校」の取り組みが「わかる」ようになってきました。

様々なメディアで取り上げられることも格段に増えて
「発達障害とは?」という視点で「理解」を示そうとする人たちが増えてきているなぁと感じることは多くあり。

その中で、子育て世代に過度な不安が広がっていることも確かですが、
障害を「ないもの」として見る傾向は少しずつ変化してきていると思います。

ですが、そうは言っても、やはりそれが「現実」に起きると 急に「ないこと」が「前提」になるのも事実。

親も教員も…
そのハードルは意外に高いです。



教員としてのスキルの中に、発達障害への理解が求められる中、実際に行政としての取り組みとして広がっているのは主に「講習」ですね。

特別支援教育が学校教育法の中で改定された19年度からその動きは活発になり、
ここ数年は目に見えて…先生方が講習に飛び回っている様子が伺えます。

その先生方とお会いして、たいていの先生からの最初に出る言葉。





「パニックになったときは どういうふうになりますか?」



ダイレクトに、「暴れますか?」というふうに投げかけてくる先生も多くいます。

パニック…だったり、多動・衝動から起きる症状ばかりを気にする。

えっと…






なんかどっかズレてませんか?


発達障害=暴れる・騒ぐ・暴力を振るう

っていう図式が固定概念になっている。
本来注目すべきは その「理由」ですよね。


「暴れたときは」「パニックになったときは」→「どうすればいいですか?」



特別支援の初心者にそんなハードルの高いところいきなり突きつけるのは酷かもしませんが、できれば「予防」を優先して欲しい。

うちの子はとりあえず暴れることはありませんが、それは これまでの育ちの中で防ぐ・抑える・紛らわす「練習」を積み重ねてきているから。

中にはまだうまくできなくて、辛くて暴れちゃう子だって沢山います。

その時の対応はもちろん大切だけど、
せっかく保護者と話してるんだから、その「理由」に注目して、苦痛を取り除く方法をまず探してみませんか?



てか、逆に。

パニックになった時の対処法ってそこだったら、「講習」で基本的なことはわかるでしょうが 

「特別支援にマニュアルはない」

十人十色、それぞれ全く違うから、マニュアル通りにはいきません。

そう言われて、じゃあ どこが「十人十色」なのかって、 困りごとの「理由」が「十人十色」なんですよ?

それによって接し方や伝え方が違ってくる。
逆に言えば 出てくる「症状」はわかりやすく似ていることの方が多くありませんか?


そちらが言う「パニック」ってそういうことですよね?



って話になるわけで。

いくら「症状」だけ「抑えて」も意味なんかどこにもない。

その子その子で 感じ方も受け取り方も違っていて、
落ち着くものも不安なこともそれぞれで。

そこが「十人十色」なんですよ?



机上。



仕方ないことなのはわかっていて、
毎日365日何年も子供と一緒にいる親と、毎年変わる担任では「理解」の深さは違って当たり前。

そこを少しでも埋めるための「面談」でなければ意味がなく。

本読んで講習聞いてわかることと
本人や保護者と接してわかることは違う。

せっかく保護者と話ができるのならば、「違い」を話さなければもったいない。

本読んでわかることはそっちで頑張ればなんとかなるだろ 笑



…おぉっとぉ 笑
言葉が悪くなりましたね 笑





もちろん 本で読んだことや、講習で聞いた話を「体感」して、誰もが「理解」していくんです。
だから、 そこを「責める」つもりは元々あんまりないんですが。



先生方。学校。 が。


表に出してくるのが「問題行動」なこと。
「本人」ではなく「学校」が困ることが先に出てくること。



今回の面談で、

「小さい頃から受け止めて対応してきたお子さんというのはこんなふうに育つことができるのかと驚いています。
ご家族の愛情をしっかり注いで育てて来られたんですね」

と言われ、

「発達障害を受け入れてくれない親御さんが多くて…」←マイナスな言い方。





なぜ 認められないのか?

そこには、学校の責任も大きいのでは?



「発達障害を疑う時に、周りから持ちかけられる理由は、ほとんどが問題行動なんですよね。
そこが前面に出てしまうと、そうじゃなくてもうまくいかなくて悩んでる親御さんが責められる形になってしまう。
だからもっと辛くなって、向き合うことが難しいんだと思います。
そうじゃなくても、自分の子供が障害児だと認識することはそんなに簡単なことではないですし…

社会として、親御さんがもっと楽になれることごあればいいのに…と思いますよ」

と  答えました。


「認められない親」という言い方で責めるような対応には、以前から疑問があり、
ちょっと言わせてもらいました 

もちろん 担任には悪気はなく、我が家を褒めてくださっていることも重々承知しています。


うちの中学では、一つ上の学年が発達障害を持つであろうお子さんへの対応がうまく行っていなくて…

学級崩壊だったり非行行動だったり…
課題提出なんかの守りごとや学習面にも余波が広がっていて、学校全体として大きな問題になっています。

「同じ発達障害児でも、親が認めていればこんなに違うのに」

と 言われたこともあります。

(私自身が中学との付き合いが長く、習い事やPTAの兼ね合いもあって、小・中の先生方とは交流が深くて。
その中で、「発達障害とは」という話も頻繁にしてきているので、時折 他の子供さんへの対応などの相談を受けたりもしてきています。なので この辺りの話は信頼関係の中で、極秘事項として扱っています)




学校と親。

対峙する関係の中で、子供を通じて…

お互いについ、相手に求めてしまう。
人間って そういう生き物です。

だけど、まず「自分にできること」


それは 「お互い様」 なはずです。



親である自分にも今一度言い聞かせ

できれば先生方にも一つ。
「自分ができること」を優先してみて欲しい。


その中で相手が変わって行くこと。
それを待つ。

「先生」なんだから…

どうせ上から見るなら、器一つ広げてくれてらなぁ~ 笑


とか 思ってしまう。

これからに
まだまだ 「期待」です。