ブログの仕方も分からず心配でいっぱいですが、来週、仙台高等裁判所の判決が降りるということなので、少しでも真実を伝えなければと思い投稿することにしました。
私は東日本大震災が起きた当初、石巻市立小中学校長会一員であり、校長会や市教委との連絡調整をしていたものです。今回、市と県が控訴しましたが、この件に関して是非参考にしていただきたく、以下の文章を送付しますので、どうぞご一読のほどをお願い申し上げます。
結論から申し上げますと、大川小学校で起きた災害については全くの想定外の出来事であり、誰にも罪はないはずです。私はほとんど毎月、各学校の課題を取りまとめ市教委との連絡を取っていたわけですが、たぶん全校長が想定外の災害だったはずです。災害発生時の危機管理マニュアルについては、校長会としても取り組んでいましたが、その主なものは災害発生時の児童生徒の生命の安全、とりわけ保護者への引き渡しをどうするかが一つ、そしてもう一つが避難所に指定された場合の対応のあり方が話し合われていました。引き渡しについては、多くの学校が実際に保護者や地域等と連携し取り組んでいました。避難所の運営については、とにかく市や県などの対応がなされるまでの運営と、その後の教育活動をどう整備し教育活動を再開するかの二点でした。津波についてはあまり取り組んでいませんでした。ただ何度か話題にあがったのは、渡波海水浴場のすぐそばの渡波中学校の件です。大津波が来る半年くらい前のことです。海のそばに立地しているにも関わらず避難所に指定されているのはおかしいということで話題になり、市教委に問い合わせたところ、体育館が無理でも2階以上は避難所になり得るという返答でした。当時の状況としては、30年周期に発生するという宮城県沖地震への対応が基本にあり、地震対策が中心でしたが、宮城県でも宮城県沖地震に伴う県内のハザードマップができていることは、私も知っています。12年ほど前、南三陸の本吉郡の学校に務めた時、職員室の中央の壁に貼ってあり、確か津谷や小泉という町の津波の高さが最大10メートルだったことを覚えています。しかし石巻周辺はほとんどが1メートル以下、高くて3メートルだったと思います。このことについては、たまたま私が本吉郡に居たので知っていますが、ハザードマップの存在について石巻市内の先生方のほとんどが知らないでしょう。
そんな中で大津波が発生しました。大川小学校の川向かいにある橋浦小学校に務めたことがありますが、川口は海が穏やかで津波の心配もないと当時聞いたことを覚えています。たぶん川口の釜谷の人がたくさん命を落としたのも影響したことでしょう。大川小学校は津波の浸水区域になっておらず避難所に指定されていますので、教職員もまさか大津波が押し寄せるとは思っていなかったはずです。僻地ということで職員の入れ替わりも多く、校長先生も知らない土地へ赴任したばかりであり、先ほど述べたように津波に対する危機管理マニュアルは整っていないでしょう。市の広報車が呼びかけたとはいうものの、堤防の下に居て、見えない津波に対しその数分間で今まで積み重ねてきた考えを否定し、意識を変え山に登ることはできなかったことでしょう。津波に対する乏しい知識の中で精一杯尽くした先生方に罪を負わせることは情けないというしかありません。殉職という言葉が出てこないのはいまだ不思議です。
仙台地裁の裁判長がはたして実態を知って判断したのか。お金で解決すべきではないでしょう。私は単なる裁判長のパフォーマンスとしか思えません。これまでの地元の新聞社の報道、そしてテレビの映像は一方的に保護者遺族へ優位な報道ばかりであり、亡くなった教職員は加害者扱いになっています。その遺族である両親や子供たちが、どれほど苦しい状況に追い込まれるか考えなかったのでしょうか。先日の判決で保護者が「勝訴」、あるいは「教職員に断罪」というプラカードのようなものを掲げた写真が地元の新聞に掲載されましたが、保護者が取るべき行為なのでしょうか。報道の中には生き残った子供の証言もありますが、子供を取り上げていいのでしょうか。亡くなった子供のたちの多くの保護者は反対の立場とも聞いています。私に言わせれば大川小は想定外、むしろ引き渡しで命を落とした子供が居ることの方が問題でしょう。
最後になりますが、先日亡くなった先生の両親が、負い目を感じながらも周りの人のすすめで何とか大川小学校に足を運んだ記事を読みました。名前が載っていたので電話帳で調べ手紙を送りました。その返事を読み、教職員の遺族は皆、心を痛めつらい思いでいることを痛感しました。どうぞこの文章も参考にしていただき、命を落としてまで子供たちに寄り添った先生方の姿勢や、その遺族の無念をご理解いただければ幸いです。