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  5月の連休に娘夫婦から「中之島図書館」のペーパークラフトの誕生日プレゼントが送られてきた。
休日の空き時間にコツコツと作り始めたが、自分の息でパーツが飛んでしまうぐらいきゃしゃに設計してある。難工事だ!

 組み立て設計図に、用意するものとして、.團鵐札奪函↓▲椒鵐匹覆匹判颪い討△襦そして最後に「ヤル気!」となっとる。さらに、「根気」、「几帳面」これも加わえんと前には進まん。出来ん!

 着工から4か月半、9月9日(日)に完成する。模型ケースは娘の夫が手作りしてくれた。彼も大変器用な男である。
これは現物を見に行かんとあかんと思い9月15日(土)家内と二人で大阪に向かう。ちょうど「レトロ建築模型展」の企画展示中。グッドタイミングとなった。

 建物は先般の台風21号の被害で正面アプローチの照明器具が壊れ、周辺の木々も引き裂かれるように折れ痛々しい姿だ。
 しかしながら、さすがに明治期の住友の建物だ。玄関の階段が凄い、圧倒される。外観だけでなく内部の階段、ドーム天井、窓枠など重厚で品格を感じる建築だった。ライブラリーショップで「通天閣」のペーパークラフトを土産に買う。
 そして中之島緑道を西に進む。「日本銀行大阪支店」を右手に過ぎる。これもすごいな。威厳がある。
フェスティバルタワーで、市内に住む娘と会う。久しぶりに大阪を楽しんだ。
 さあ、次は「通天閣」に挑戦や!

 

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 工事資料、図書、文献からも祖父がこの建物の建設に携わったことの確証は得られなかったが、母からの話しの中にあった「コンクリートを使う・・・・」ことは、設計図の“地形平面図”から基礎にコンクリートを用いたことでつながった。それまでは、切石の上に柱や束を立てたり、礎石の上に土台を敷いたりする工法だったろうから新しい工法だったんだろう。
 また、屋根の小屋組みが“和小屋”ではなく“トラス洋小屋”であることも設計図からわかる。これも話の中にある「初めてすること・・・・」のひとつではなかったろうか。

 いといろと調べてみたが、祖父が建物に関わった確証を得ることはできなかった。
ただ、祖父の長男、次男(母の兄たち、私の伯父たち)も土木・建築の技師であったこと、孫の私も一級建築士として長く建設関係の仕事をしていることは偶然の系譜ではないように思えた。

 建物が「たつの市醤油の郷大正ロマン館」と命名されたこと、私の記憶に残る“祖父のロマンある話し”として子供が帰省した時には、ここに来て語り継いでおくことにしよう。
 母が生きている間にもっといろいろとゆっくりと話しを聞いておきたかったなと思う。このたびのことは、お墓参りをして報告しておくことにしよう。
 はっきりとわかったほうがよかったのか、わからなくてよかったのか、きっと「あんたが思ってるとおりのことやで」と言ってくれそうな気がする。           (終わり)

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 建築当時の設計図や工事資料、文献がないものかと、市の「まち未来創造課」に問い合わせてみる。建築時の図面を保管しているとのことで、早速閲覧させてもらい写真に収める。青と白とが逆転している美しい図面が残っていた。
 
 およそ100年近く前の設計内容の濃さ、厚み、精度に素晴らしい図面だと感動する。現代でもここまで書いていない図面はいっぱいある。ネットで検索した結果、神戸の水谷さんなる人物の設計であることを知ることができた。ただ、ここでも祖父が関わった形跡は見ることができなかった。

 次に図書館に行ってみた。ここでは、“龍野の建築”と“醤油の歴史”の分野から館員の方に調べてもらい「龍野醤油協同組合120年史」(平成11年版)から、大正12年の関東大震災のころ組合事務所の新築計画があったことがわかり、翌大正13年4月1日に地鎮祭を挙行し、建設費¥30.900円で神戸市の建築業者と工事契約を結びと記されてあった。これが水谷さんのことなのかと読み取った。同年8月10日に県知事など来賓140名を迎え落成式を行ったとある。設計図内の“工事進行表”と一致する。                                              (その3に続く)