〜過去〜手術日(2015.8.20) | 〜卵巣がんだけどゆるゆるポジティブで人生楽しもう〜

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初めまして。
2015.7.27に卵巣がん(Ⅲc)告知を受け、治療中です。当時36歳、3児の母です。癌になんか負けない!ブログを書くのは初めてで上手くかけるかわかりませんが、病気の事、日常の事、いろんな事を書いていきたいです(*^^*)

8月20日に手術を受けました。

18日に入院して、寝れないのと、息苦しいのを我慢していたら、19日の夕方に胸水も溜まってると言われ、酸素を鼻から付けてもらいました。酸素チューブ付けてもらったら、凄く楽になりました。でも、やっぱり手術前日は寝れなかった…

手術は、13時から4時間の予定でしたが、7時間オーバーだったそうです。卵巣、子宮、大網、S状結腸取ってもらいました。ストマになるかもって言われたのがストマにならなかったのも安心し、リンパは大丈夫だったとの事。
手術時間も長くかかったのと大量出血のため、輸血もしたそうです。

そしてその後、行くはずじゃなかったICUで5日間過ごす事に…胸水が溜まり、自発呼吸が無理でICUで胸水 穿刺しました。意識朦朧とした中で、主治医ではない、呼吸器内科の先生が優しく言葉をかけてくれながらしてくださったのは覚えてるいます。どれ位の量が引けたんだろう、先生の言葉はあまり覚えていないけど、それから吸引器と退院するまでお友達でした。

ICUも3日目からはだいぶ意識がはっきりとしてきて、周りの様子を伺う余裕もでてきましたが、人工呼吸器が付いていたので、わずかな面会時間も筆談でもどかしかったです…
なかなか病棟に戻れず家族に凄く心配かけました。子ども達には一切会えず。こんなにも会えなかった事がなかったから、とっても寂しかったです。

人工呼吸器が、外れないと病棟には帰れないらしく、胸水確認のレントゲンを毎日何回撮ったんだろう。ICUだったので、出張レントゲン技師さんに撮ってもらったり、ベットのままCT行ったり、とってもVIPでした。

でも、ICUで過ごした5日間は死の恐怖ばかり感じ、心も折れそうな毎日でした。隣の人の意識が戻らないとか、夜中も明るくいろんな機械の音や、医師、看護師の緊張感ある話し声。
壮絶な空間でした。(そこで普通に働いてる人達って神って思いました。)
でも、私は絶対病棟に帰るんだと自分にも言い聞かせてました。1日に20分しか面会できないICU。子どもは入れないICU。
旦那さんが毎日子ども達からの手紙を届けてくれました。絶対、病棟に帰らねば。そればかり想っていました。