もう4月。

現状維持の方も沢山いるとは思うけれど、新しい一歩を踏み出す人も絶対多いはず。

こんな端くれの女子大学生の戯言などに耳を貸す必要はないけれど、その上でも伝えたいのは、逃げる事は恥ずかしくないよということ。逃げ恥!逃げ恥!

 

別に学校なんて嫌になったら辞めたらいいと思うし、職場だとしても本当に辛い思いをしている人がいれば逃げたらいいよ。

そんなに簡単な話じゃないと思うかもしれないけれど、自分を傷つけてくる人たちと無理に一緒にいる必要はない。自分が壊れてしまう前に、逃げるという選択肢があることを片隅にでも覚えていられていれば良いなと思います。

 

 

臭いセリフを言ってしまったので、早めに本題に戻ります。

 

 

昨晩、彼とドライブをしていた道中に桜が咲いているのを見て、高校一年生の時に作文コンクールのようなものがあってそれに提出しようと思っていた(期日を間違えて結局提出できなかった)作品を思い出したので探してみたところ、なんと発見。

コンクールの趣旨はきっと夢を描きなさい的なものだった筈。

数年前のものということもあってこちらもだいぶ臭っさいセリフが連発されていますが温かい目でお願いします。

 

 

皆さんのこれからの生活がより良いものでありますように。

 

 

 

 

 

 

 

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私の初恋は祖父だ。

私の両親は共働きで、幼い頃から保育園に預けられていたこともあり、私は生粋のおじいちゃんおばあちゃんっ子で小学校入学前まで祖父母に面倒をみてもらっていた。

祖母は美容室を経営していたため、一緒にいる時間が長かったのは祖父だった。

保育園のお迎えも家で遊ぶのもいつも祖父で、私は祖父が大好きだった。

「出かけるよ」という父に「やだ。じじがいい。」と祖父がいないといつもごねていたらしい。

私は祖父との散歩が一番記憶に残っている。祖父は私を様々な所へ連れて行ったが、私が好きなのは家の近くの幼稚園に咲く桜の木を見に行くことだった。

春になると幼稚園の桜が満開になり、それはそれは綺麗だった。四季ごとに異なる姿を魅せてくれる桜は見ているだけでも楽しい気持ちになった。桜の木を見つめる祖父の横顔は今でも忘れられない。

 

ある時から、祖父は病院へよく通うようになった。実は癌が発見されていたらしい。

祖父は私に心配をかけないようにとそのことを私には伝えなかった。祖父は嘘をつくのが上手だ。

何回か入退院を繰り返し、私が小学六年生になった時、家に酸素マスクやドラマで見るようなものが祖父の寝室に設置された。祖父は先が長くない事実を受け入れ、家にいることを望んだ。

次第に祖父は動けなくなり、話せなくなった。

状態が良くないことは小学生の私にも分かった。

学校から帰ってきて祖父に「ただいま」や「今日テストでひどい点数を取っちゃった」と言った時に酸素マスクの奥で少しはにかんで笑う祖父の顔を見ると、先のことなど考えられず、その事実に見ないふりをした。

 

ちょうどその頃、学校では目先のイベントの沖縄修学旅行の話でもちきりだった。人生初の沖縄でワクワクが止まらず、待ちに待った修学旅行の日がきた。家を出る前何時ものように祖父に話しかけた。

「今日から沖縄だよ!行ってくるね!祖父にお土産沢山買ってくるからね!楽しみにしててね!」

その日の笑顔は何時もの優しい笑顔だった。

祖父に縁起の良いシーサーの置物を買った。あっという間の四日が終わり空港で友達が帰宅するなか、私は母が見つからずひとり空港で待っていた。母からの連絡で友達の母が私を送ってくれることになった。

見慣れない場所を通り、そこで降りるように言われた。止まった場所は私の家ではなかった。私の祖父の名前が書いてある看板が目に入った。「故」という文字があった。自然と涙が溢れて止まらなかった。

祖父は私の知らない間に去ってしまった。

 

その日は私にはいっぱいいっぱいだった。分かったのは祖父はもういないということ、だけだった。一人になりたかった。現実を受け止めたくなかった、嫌だった。

祖父が大好きだった。

 

家についた私は、家に入れずに歩いた。歩いているといつの間にか桜の木の近くに来ていた。祖父と一緒に何回もきた幼稚園に咲く桜の木。花びらはほとんど散ってしまっていた。それを見てひとり声をあげて泣いた。生温い風が吹いていた夜だった。

 

 

人の役に立ちたいと、人を助けたいと思うようになったのはその時からだ。

祖父の生前に何も役に立てなく深く後悔して泣いたあの日の自分にはなりたくない。私の将来の夢は介護士になることだ。

テクノロジーが増えているこの世の中だが機械ではなく人の手で助けられる仕事、というのに心惹かれた。この手で一人でも多くの人の楽しく幸せな時をつくりたい。

祖父が私に心配をかけたくないと自分の病気を隠していた様に人を思いやれる人に私はなりたい。

あの時はなんで祖父が大変だということを私に隠していたのかと、嘘をついていたのかと怒っていたのを覚えているが、今となればその嘘は真っ赤な嘘ではなく人を思いやった優しいピンク色の嘘だったのかもしれない。

祖父と一緒に見たあの桜色の。

 

 

 

 

 

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