amiyeeのおもに映画・本・演劇ブログ

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ニート予備軍女の映画・本・演劇案内。

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声のワークを受けた

 

声が変われば何かが変わる

 

と最近は特に思う

 

「私の声がきれいに響けば、みんな元気になる」

身体と心を一つにして口に出してアファメーションしよう

 

あくびに脳幹の神秘を感じる

脳幹といえば、中脳・橋・延髄

ヨーガのシンハーサナもこれをやりたいのかな

ディティールは違っても通じるものがある

 

顎をうごかそうとすると

頬骨筋(きょうこつきん)と顎がめちゃ固い

なぜならしゃべらないから(噛む筋肉でもある)

 

 

身体をまっすぐ背骨をまっすぐの固定概念から抜け出して

身体を動かして呼吸のしやすいところを探してみる

響くところへ体を傾けたり首を肩向けたりして動く

背中すらりや首まっすぐにとらわれない柔らかな体を探っていくと

身体が軽くてゆるんで

ゆるんだ体の全体に声の振動が届くのがわかる

 

こんな感覚で話してみるならば

きっと声はほんとの自分の響きとなる

 

本当の声で発せられた言葉は自分にも響き、周りにも響いてまっすぐに人に届く

 

そんな声へ向かっていきたい

 

♯ボイスエンライトメント

 

 

満月の後のこの時期に

はじめましてのヨーガクラスに参加してみる

3月並みに暖かい日があったりもするけど、

今日みたいな寒い日に外に出ると、やっぱりまだ冬だなと気づく。

 

自主練を始めてから、ヨーガのクラスに参加することはひさびさで

今日のクラスはいまやっているヨーガとはコンセプトが少し違っていて、

 

でも身体が気持ちよくなる感覚と、あったまることや動かすことのきもちよさ、

先生のリードに体の動きを任せること、普段と違うストローク、

クラスに出ることの良さを感じたクラスで、今日ここへ来てよかったとおもう

 

寒い冬だからこそ動かす、

動くことで温まる

時にリズミカルに動かして、心拍をあげる、

そうすることで温まる

動かした後は余韻を感じる時間も忘れずに

身体が伸びると気持ちいい

呼吸をすると気持ちいい

 

あたたかいハーブボール(レモングラスやウコンなどあたたまるハーブのブレンド)を

体に当てるとそれだけでその部分から体が温まるようなきもちがして、

ハーブの香りにも癒されて、

それだけでとても心にもエネルギーが満ちる

 

そのあとはすこし

何のためのヨーガをしているのか、自問する

わすれていたものは

身体の動きと呼吸を合わせた時の

”呼吸がひろがるここちよさ”

 

コントロールされた呼吸(呼吸法)の練習では感じなかった種類のここちよさと解放感

かつてわたしはこのためにヨーガを必要とした

自分を感じること、身体を感じること、

身体が伸びること、身体を動かすこと

あたたまること、つつむこと、かんじること、ケアすること、自分に対してやさしくなること、

ヨーガから得ていたものはきっとこんな感覚

 

そのうえでどんなヨーガを目指すのか

感じないようになりたいのか、

心地よさを感じたいのか、

感じ方をコントロールしたいのか

 

心地よさを感じている自己をも手放していきたいのか

心地よさを感じている自己をもって人生の波をのりこえていきたいのか

 

瞑想とは何か

無念無想の練習で感じた感覚は、もっと無味乾燥としたもので、

それはモノクロトーンで、振れ幅のすくない、感覚を削りとっていくような、

欲望も、固執も、そして意欲までなくしていくような、

ただただ無色透明なところへ向かっていくようなもので、

目指すところは絶対零度

 

どちらがいいのかとかではないとはわかっているけど、

コンセプトの違いと得られる感覚の違いを感じて

二つを同時に得ることを目指すより、

今はどちらか選んで進んでみるのもよかろうかとおもう

 

 

しかしそのさきにはどちらがいいという二元論をなくした統合が必要なのだろう、というのは理屈ではわかる

表面はただ少し違って見えるだけなのかもしれない

 

スティーブ・ジョブズのように成功をおさめた人が瞑想をするならば、

さらに先をもっと上を追い求める心を統一していくような効果を得られたのかもしれない

 

あたたかさと絶対零度、

いま自分に必要なものを選んでいけばいいのだろうか

自分の基準をもちたい。


人に言われたて信じ込んでしまって、それしか聴けなくなったらしんどい。



今日、純粋に振り回されてる人の話を聞いた。


いままで判断基準が自分の周りにあった人、なんやろうと言ってた。


言われて自分で考える前に落ち込んでしまって、判断の材料を集めようとするまでにいたれない、らしくて


自分も昔言われたことを思い出したりした。



いろんな話を聞いて、自分でもいっかい考えて消化してから自分で決めた判断をしていけるようにいろんな方法を学びたいけど、それはとても効率悪くて、身にもつきづらくて、余計に混乱してしまう。


だから自分がいいと思ったら、信じてみることが必要。


学ぶためには信じることも必要。


自分を費やせるもの、情熱を持てるものがほしくて、


今それが目の前にあるのかもしれない。


やってみないとわからない。


やるまえからうたがってたらきっと何もかも中途半端でおわるから、


信じてみたい。


社会勉強と思いながらやる。


そんな自分のひたむきさよ、かえってこい。



慣れてきたものには、プラスα、というかプラス自分基準、してみよ。



自分に何もないとかつまらんいいわけやんとか、元気な人が言うセリフ、口癖にしながら。