N美ちゃんとは、ネットワークビジネスの集まりで知り合いになりました。
私はネットワークビジネスには興味は無くて誘われた方の顔を立てる為に参加しただけです。
私は、その時は3回目の結婚をして水商売は辞めていました。
N美ちゃんを紹介された時の名刺には〇〇会社の社長と書いてありました。
建築関係の様な会社名で女性なのにと少し驚きました。
頼まれたら断れない私はネットワークの集まりに行く度にN美ちゃんも彼氏と一緒に参加していたので自然と仲良くなりました。
私の何を気に入ったのか?わかりませんが
「ママ!」「ママ!」
と慕ってくれました。
当時、私は51歳で彼女は39歳くらいだと思います。
目にはカラコンが入っていて
髪は、いつも長いウィッグを付けてポニーテール。服装は年齢に似合わないギャル風デザインのフリルの下着が見える超ミニスカート。
胸の谷間も見える装いに私は名刺に書いてあった内容とは違うのでは?と違和感を感じていました。
何回か合う内に当時の夫とも仲良くなりN美ちゃんと彼のKが私達の住まいに頻繁に遊びに来る様になりました。
当時の私の夫は個人で店舗専門の内装業をしていたので、元夫も建築関係なら知り合いになりたいと好意的に仲良くしてくれました。
N美ちゃんの名刺に書いてあった会社は実質の社長は彼氏のKでした。
N美ちゃんは2台の携帯を常に持っていて、どんな時も携帯を離さず携帯が鳴ると素早くメールを打ち誰かと、やり取りをしていました。
(忙しいのね)
その後、私はN美ちゃんの本当の仕事を知る事になります。
最初に気付いたのは元夫でした。
「〇〇N美ちゃんさ、建築業じゃないと思うんだよね」
私は詮索しない性格なので
「そう?頂いた名刺には建築業の会社名が書いてあったわよ」
「いや〜違うと思うよ」
そんな会話をしていた矢先に
N美ちゃんから相談があると電話が来て、私達はN美ちゃんの住まいに行きました。
マンションの奥の部屋はお洋服で溢れていました。
広くは無い居間の真ん中に寝具のマットレスが置かれていて、奇妙な感じを受けました。
「ママ、私、彼と別れたいの」
と泣きながら話して来ました。
「あんなに好きと言っていたのに何があったの?」
「実はKは結婚していて、いつも私からお金を持って行くのが、もう嫌になったの」
「あっ、そうだったの。Kさんは既婚者だったのね。そんなにお金を出していたの?」
「ママだから話すけど私は体を売って生活してるの」
「風俗店で働いているの?」
「ううん、ネットに出会系って言うサイトがあって私が書き込むと、それを読んだ男性からメールが来て金額の折り合いが付くとホテルに行くの。ホテル代が無い人は私の部屋に来てもらうの」
出会系サイトも知らない私は、何の話か最初は理解できませんでした。
要するに、個人で、携帯のサイトにあるネット掲示板と言うサイトからお客を見つけて性の相手になり見返りにお金を貰う。
N美ちゃんいわく1回限りの相手で「縁切り」と言うらしいです。
初めて聞いた言葉でした。
居間の真ん中にあったベッドの意味も、やっと理解出来ました。
「Kと別れるには夜逃げしか無い」
と言うN美ちゃんを助ける為に当時の夫の知り合いが所有する白石区南郷通に建つ賃貸マンションを紹介して元夫が保証人になり一気に引っ越しを終わらせました。
それから、N美ちゃをは自分の仕事の話や過去の出来事を私にはなす様になりました。
「ママ、私ね前に結婚していた事があって彼と沖縄で暮していた時に、同居する彼の母親にイジメられて放火罪で刑務所に入った事があるの。4年で出てきたけど放火じゃなくてイタズラにタバコをドアのポストから部屋の中に投げ入れただけなのに」
判決には不服だった様でしたが、裁判では実刑。
そこは、いくら彼女がイタズラだと話しても数々の証拠から実刑になったのだと思います。
沖縄の刑務所を出てから生まれ故郷の千歳市の実家に戻り、でも小さい頃から出来の良い弟と比べられるのが嫌で居心地が悪く札幌に出てきて最初は北24条のキャバクラで働き始めたと話していました。
負けず嫌いな性格が損をして従業員達との人間関係が上手く行かずお店を辞めてから自然と1人で出会系サイトで客を見つけて1匹狼で今日まで来たそうです。
全てを私に話してからは、前より私に甘えたり悩みを話したり時には私に料理を作ってくれたり。
御両親は、いたって真面目な方でした。
父親は誰が聞いても知っている大手の会社勤めで既に定年されていました。
母親は専業主婦でお茶の先生でした。
そんな家庭に育ったN美ちゃんは、いつも私には両親が嫌いとしか話しませんでした。
とにかく、休みなくネットの掲示板で客を見つけては体を提供する毎日。
ある時は男女、複数人でホテルでパーティーをして一晩で10万単位のお金を稼ぐ。
もちろん生理の時も休まない。
前にソープランドの幸子さんの時に書いた海綿を体の奥に入れる話はN美ちゃんから聞いた事です。
借金があるわけでも無く、ホストクラブに行くわけでも無く、ひたすら体を提供して働く。
中には、お金が無いお客の時は、駐車場で、そのお客の車の中で口を使い男性を満足させる。
その場合は3000円から5000円。
ホテルに行く場合は15000円から20000円。
知りあって2年くらい経った頃、私はN美ちゃんの様子が何かおかしい事に気付きました。
まさかとは思いましたが
「覚醒剤を使っていない?」
と尋ねると
N美ちゃんは体を震わせて私の手を握りました。
「ママ、誰にも言わないで」
と手を合わせて哀願されました。
やはり私の勘は的中しました。
あれだけ働く意味の一つは覚醒剤を買う為だったのだと知りました。
体がキツイから覚醒剤を使うのか?覚醒剤を使うから体の仕事が出来るのか?
卵が先か、ニワトリが先かの論理です。
私はN美ちゃんに約束した通り元夫にも私の母にも誰にも覚醒剤を使っている話はしませんでした。
と言うより話せませんでした。
前の彼のKと別れてすぐに出会った男性が覚醒剤の常習者で、それでN美ちゃんも使う様になったと話してはいましたが、私は、もっと前から使用していたのでは?と考えていました。
私は覚醒剤を使った事が無いので、わかりませんが、きっと体の疲労を感じなくなるのでしょう。
じゃなければ、1日に5人以上もの男性の相手は出来ないと思うのです。
N美ちゃんは多い時で1日に10名近くの男性を相手にする時もありました。
「ママ、私は頭が悪いから他に出来る事が無いのよ」
N美ちゃんは笑いながらポツリと話しました。
それを聞いた時、私はやるせない気持ちになりました。
私には二度と覚醒剤は使わないと誓いましたが、N美ちゃんは日に日に幻覚が見える様になりました。
「誰かが私の後を付けている」
「盗聴されている」
見た目は体も痩せてはいなくて食欲は旺盛でした。
毎日、何人もの「縁切り」客を見つけてはホテルに行くN美ちゃんは、いつも、お金が無いのは、きっと覚醒剤を買っていたからだと思います。
私はN美ちゃんの体が心配でした。
覚醒剤は1度体の中に入れると脳が覚えてしまい又、欲しくなるとテレビの番組で話を聞いた事があります。
N美ちゃんは簡単に手に入ると話していました。
体が高揚するのか?
寝なくても働けるのか?
多分、私には辞めたと話していましたが辞めてはいなかったと思います。
知りあって5年が過ぎた時
N美ちゃんの父親から私に電話が来ました。
それは、N美ちゃんが千歳市の街中にあるビルの屋上から飛び降りると言っている。
錯乱している彼女が心配で急いで千歳市のビルに車を走らせました。
「N美ちゃん、大丈夫よ。こっちに来て」
N美ちゃんはビルの屋上の端に、うずくまっていました。
私に気付くとN美ちゃんは泣きながら
「ママ!もう生きていたくない!」
と叫びました。
覚醒剤の使い過ぎでN美ちゃんは正気を無くしていました。
飛び降り自殺は阻止出来ました。
それから実家に引っ越す事になりましたが、私はN美ちゃんのご両親には私の口からは覚醒剤の話はしませんでした。
後に知る事になったのは
ご両親がN美ちゃんを精神科の病院に入院させた事でした。
約10年間、ほぼ休まずネットの掲示板から客を見つけて体を提供してきた生活。
手にしたお金で覚醒剤を買い使用する生活。
幻覚を幻覚とは思えず現実に起きていると思う生活。
確かにN美ちゃんの体はタフでした。
それは若さだけでは無くて、覚醒剤の力が及んでいたのです。
普段は可愛くて
「ママ、私ね結婚して赤ちゃんを産みたいの」
が口癖で、誰かの妻になり母親になりたいと願っていたN美ちゃんでした。
精神科に入院してから私達は会う事はありませんでした。
10年間もの間、毎日「縁切り」を繰り返し
1日、平均5人を相手にしていたとしたら
1年で1800人。
10年で18000人もの男達をN美ちゃんは相手にしていた事になります。
億に届くお金を有に稼ぎ、大半を覚醒剤購入に使い果たし
最後は錯乱して飛び降り自殺するとわめきました。
N美ちゃんの幸せは何だったのかを考えてみました。
彼女が一番嬉しそうにしていたのは、ひっきりなしに鳴る携帯電話の掲示板からの「縁切り」
「ママ、私ね仕事は上手いのよ」
唯一N美ちゃんの自慢話でした。
人の生き方を私は、どうこう言える立派な人間ではありません。
でも私が気付いた時に、私はN美ちゃんの
「二度と覚醒剤はしない」
の言葉を信じないで、その時に出来る最大の何かを私がしていればと悔やまれて仕方ないのです。
今は、どうしているのか?
夢が叶い結婚して子供を授かり暮していると信じたい気持ちです。
−話は続きます−