私の住んでいたマンションの裏通りには、その頃は、まだ木造のアパートが沢山、建っていました。


すぐ裏にあった富士アパート。

事件は、そのアパートの1室で起きました。



その部屋には母親と私の息子と同じ年の男の子が二人で住んでいました。


シングルマザーの母親は一人息子を育てる為に夜はススキノのスナックで働いていました。


夜、母親がいない部屋で当時5歳の男の子は一人で留守番をする日々。


きっと寂しい夜を過ごしていたと思います。


近くに24時間の保育園がありましたが、預けるには多額の保育料がかかるので、生活するだけで、やっとの暮しでは我が子を預けられず一人で留守番を、させるしか無かったのだと思います。


母親は明るくて道で会うと私にも良く話しかけてくれました。


私の息子と母親の息子は同じ歳と言うこともあり子供達は昼間、良く一緒に遊ぶ事もありました。


その母親はスタイルが抜群に良くて夜になると必ずミニスカート姿でススキノに働きに出ていました。


私は前にも書いた様に人を詮索しないので母親の事は、どんな人なのか、何故シングルマザーになったのか等、良く知りませんでした。


ただ道で会うと明るく私に挨拶してくれる、気さくな人でした。


毎日、夜を一人で過ごす私の息子と同じ歳の男の子が時には可哀想で心配にはなりましたが、かと言って我が家で面倒をみるまでの人間関係は無く、昼間は私のマンションに私の息子が連れて来るので、その時はお菓子やジュースを出して子供達はテレビゲームに夢中になっていました。


夕方になると母親が仕事に行く前には、きちんと帰る子でした。


母親は多分、私より10歳くらい年上だから当時40歳くらいだと思います。

どちらかと言うと童顔だったのでアイラインを引いた目に付けまつ毛を付けて仕事着のミニスカートを履くと歳より若く見えました。


母親の仕事が休みの日曜日、以外は男の子は毎晩、一人でアパートの部屋で何をして過ごしていたのか。

まだ甘えたい歳の男の子が不憫でした。

男の子を思うと、同じ母親として胸が痛くなる気持ちでいました。


男の子はゲームをしたり、テレビを観たり眠くなれば、茶の間で寝てしまう、そんな生活だったのだと思います。


でも、人様は人様で、それぞれ事情があるのだから他人が踏み込んではいけない場面もあります。

そう思いながらも当時の私は夜になると男の子が心配になっていました。


一度だけ、私は母親に誘われてアパートの部屋に入った事がありました。


二間の間取り。

古いアパートです。

親子、二人なら、さほど狭くは無くて、それは家財道具が余りにも少ないから、広く見えたのかもしれません。

奥の部屋には部屋には不釣り合いな立派な大きな洋ダンスがあったのは鮮明に覚えています。


決して綺麗な部屋では無く、男の子の、おもちゃや脱いだ服が部屋のあちこちに散らかっていました。


母親は夜から朝方までススキノで働いていたら、お掃除をする気力が無いのは良くわかります。



ひとつ気になったのは男の子の体の匂いでした。

古いアパートには、お風呂がありませんでした。 

歩いて10分くらいの場所に銭湯はありました。


母親は朝方、お酒に酔って帰宅して昼ごろまで寝ているので毎日、銭湯には行けなかったと思います。


男の子は、いつも汗や着る物が清潔じゃなかったからなのか?

ちょっと鼻を付く匂いがしていました。


男の子のクルッとした目と巻髪の様なくせ毛が、とても可愛かったです。


私は、その時は離婚していたので、男の子の母親と同じくシングルマザーでした。

唯一、違うのは私には同居する母がいて息子を一人で留守番させなくても良い環境だった事です。


自分の環境を有り難いと思いました。


私に側に母がいなければ私も、その母親と同じ様に幼い我が子を一人で留守番させていたのかもしれません。



ある朝、早朝にパトカーが数台が、その母親の住むアパートの前にサイレンを鳴らしながら止まりました。


何事が起きたのか?

私は慌ててマンションの外に出ました。


ちょうど、母親が警察官に連れられてパトカーに乗るところでした。


お化粧を落とさないで寝ていたのか、アイラインが目の周りを黒くしていました。


(何が起きたの?)


アパートの大家さんがいたので聞いてみました。


「部屋の洋ダンスの中からビニール袋に包まった赤ちゃんの死体が出たのよ」

と大家さんも驚きを隠せずに動揺して話していました。


けたたましいパトカーの音で近所の人が一斉にアパートの前に集まっていました。


(あの洋ダンスの中から?)

一度だけ入った時に私が見た洋ダンスです。


何日か前から変な匂いがしたらしく、同じアパートの住人が警察に通報して発覚したのでした。


母親は妊娠していて、でも子供を墮胎する、お金が無くて自宅で赤ちゃんを産み、育てられないから産んだ赤ちゃんを、すぐにビニール袋に入れて洋ダンスの中に隠した。


大まかな事情です。


確かに最近、少しふくよかになった様にはみえましたが、まさか妊娠しているとは町内の人も誰一人、気づきませんでした。


隣の部屋の人からの通報で事件が発覚したらしいです。


テレビのニュースにも流れ新聞記事にもなりました。


男の子の目の前で母親が逮捕されて洋ダンスからは赤ちゃんの遺体がでて。


その全てを見ていた5歳の男の子には何が起きたのか理解は出来なかった事でしょう。


男の子が、この世で、たった一人の頼れる母親は逮捕されパトカーで中央署に連行されたのです。


男の子は、きっと心に傷を負ったと思います。

5歳なら記憶に残る年齢です。


母親には親しくしている親族がいなかったらしく男の子は施設に預けらたと聞きました。


同じ女として母親として、心が痛む事件を目の当たりにした私は、男の子の母親の切なく複雑な心の声を聞こえた気がしました。


「妊娠さえしなければ」

「もっと経済的に余裕があれば」

「赤ちゃん、ごめんなさい」


その後、母親が住んでいたアパートの荷物は大家さんに捨てられて、そこには、もう男の子の姿は、ありませんでした。


きっと思いがけない妊娠で相談できる人もいなくて、ただ時間だけが過ぎていき、赤ちゃんを産み落としてしまい、赤ちゃんがいたら生きて行く為にススキノで働けなくなるから

だから、タンスの中に隠して何日間かを過ごしていたのだと思うと、確かに罪に問われる事ですが、私は母親に対して罪より、そうせざるしか無かった辛くて苦しい選択を選ばなくてはならなかった事に対して同情する気持ちしか持てませんでした。


今は、どうしているのか時々思い出します。


男の子は、もう30歳を過ぎて立派な大人になっています。


母親を恨まず、親子仲良く暮していて欲しいと願うばかりです。


私の記憶の中の男の子は愛らしい目に癖毛の可愛い5歳の面影のままです。



−話は続きます−