私のお店の隣にススキノでも有名なソープランドが入るビルがありました。


当時は、まだトルコと呼ばれていた時代です。


その社長さんが良く私の店に来てくれました。

お酒が飲めない社長さんは、もっぱら美味しい物を食べるのが専門でした。


優しくて物静か、地味で見た目ではソープランドを経営している様には絶対に見えませんでした。


いつも男性とばかり来店していたのに、珍しく女性と一緒に来店されました。


その女性も地味で化粧もしていなくて大人しい人でした。


何回か社長さんと一緒に来店される内に少しづつ会話をする様になりました。


水商売は、相手の方を詮索してはいけません。

相手が話す言葉に相づちを打ったり共感したり。


特に私は父がヤクザだったのでお客様の職業の詮索は絶対にしないと決めていました。


どんな職業の方でも大切な、お客様だからです。


私のお店が居心地が良かったのか、彼女は社長さんとは別に女性の友達か仕事仲間を連れて度々、食事に来る様になりました。


彼女は多分、当時25〜27歳くらいだと思いますが、あまりにも地味なので見た目は、もう少し年上に見えた気がしました。


いつ来店しても静かに食事をして帰るタイプでした。


私がお店に出勤するのにススキノを歩いていると、その彼女を見つけました。

私は声を掛けようかと思った瞬間、彼女は、すーっとソープランドの入っている隣のビルの中に消えて行きました。


その時、初めて彼女が風俗嬢だと知りました。

彼女は私には気付きませんでした。


(声を掛けなくて良かったわ)

と私の心の中の声が呟きました。


彼女を見かけてから数日後に、いつもと変わらずに私のお店に来てくれました。


彼女も、お酒は飲まず食事を楽しんでいました。


私が、お料理を運んで彼女の元に行くと

「ママ、私は幸子と言います」

と自ら名前を名乗って自己紹介してくれました。

それまで私は彼女の名前も何も聞かず注文されたお料理を出したり、お天気の話をするくらいでした。


私は

「幸子さんと言うのね。いつも来てくれてありがとう」

と、頭を下げながら返答しました。


私が道で彼女を見かけた話は絶対に、しませんでした。


今はホストに通う為に簡単に風俗嬢をする若い女性も沢山いるようですが、当時は家の都合や親の借金を払う為にソープランドで働く女性達がススキノには沢山いました。


中には男性に貢いでいた人もいると思いますが、自分が遊ぶお金の為に風俗嬢をしている人は今の時代より少なかったはずです。


私は

「幸子さんて素敵な名前ね」

と話しました。

彼女は

「父が幸せな人になる様にと名付けたらしいんです」

と小さな声で私に話してくれました。


子供が授かると親は名前を考えます。

氏に合う字画や親の気持ちを託す為に何日も悩み考えて命名します。

それは今でも変わらないと思います。


私の名前は父が刑務所に服役中に塀の中で名付けられました。

私は、本名は、あまり好きな名前では無いのですが、父は私を

「ベルちゃん」

と、あだ名で呼びたくて命名したと後に母から聞きました。


でも母からは

「田舎だったから誰も貴女をベルちゃんと呼ばなくて」

と笑って話していました。

昭和31年産まれの私の時代、ベルちゃんと言うハイカラな、あだ名で呼ぶ人は私の周りには誰一人いませんでした。

服役から戻った父は、誰も私をベルちゃんと呼んでいない事に落胆したそうです。


私も息子が授かった時に沢山の命名本を買い悩んで悩んで名付けました。

字画を考えて。

私の息子は人から助けられる意味を含んだ字画を選び名付けました。

息子は後100グラム少なかったら未熟児だったのですが名前の一文字の漢字の通り、その後は、ぐんぐん背が伸びて2600グラムで小さく産まれたのが嘘の様に成長して今は身長が185センチもあります。


そして、何かあっても周りの人に助けられている様です。


名は体を表す。

その通りになりました。



幸子さんは、あの社長さんの、お店で働いていると私に話してくれました。


一度も休まずに出勤していたそうです。


私は女性特有の生理の時は、どうするのかしら?と余計な心配をしていました。


後に知ったのですが、海綿(スポンジの様な物)を自分の体の奥深くに入れると何とか仕事は出来るそうです。


何故、休みも取らずに働くのか?

体は大丈夫なのか?

いつも大人しく地味な幸子さんの体が凄く心配になりました。


幸子さんに出会ってから一年が過ぎた頃、休まずに働く理由が、わかりました。


幸子さんは貧しい家庭に産まれて下に弟が2人いるそうです。


幸子さんは自分から私に話し始めました。

「ママ、私は中学を卒業後、田舎から札幌に出て来て最初はパン工場にお勤めしていたの。本当は高校に行きたかったけど父が体が弱くて働けなくて母は家で洋裁の内職をして私達、姉弟を育ててくれたの。

だから私は中学を卒業したら働いて生活費を家に入れると決めていたの」


幸子さんは自分の生い立ちを淡々と話してくれました。

「下に弟が二人いて小さい頃から弟達は新聞配達をしながら少しばかりの賃金を家に入れてくれる親孝行な弟達なの」


「弟達は私と違って頭が良くて成績が優秀なのが私の自慢なんです」

と。

弟の話をする幸子さんからは優しい弟思いのお姉さんだと言う事が伝わりました。


「ママ、それでね、弟達を高校、大学に進学させたくて私、パン工場を18歳で辞めてススキノに出てソープランドで働く様になったの」

「その時に社長さんのお店に入って、もう6年になるの」

と。


ソープランドでは入店すると、先ず最初は、そのお店の主任とか店長に仕事を教えられるそうです。


それは裸になり主任や店長をお客様に見立てて何から何まで教えてもらう。


パン工場からの転身に迷いは無かったのだろうか。


裸体を晒す恥ずかしさより、お金を稼ぐ事が一番なのだから、早く仕事を覚えて指名が沢山、入る様に幸子さんは、きっと凄く努力したのだと思います。



いつもお化粧をしていない幸子さんの肌はソープランドの中のお風呂の湯気で肌はツルツル、殆どの時間をビルの中の個室で過ごし日の当たらない生活だから真っ白な透明な肌の色でした。


私は聞いてみました。

「お仕事は辛くないの?」

幸子さんは

「ママ、私は家の為、弟達の為に私が出来る事をして稼いでいるから辛いなんて言ってられないの」

自分の感情より家族を思う幸子さんからは覚悟が感じました。


「ママ、でもね私は弟達が大学を卒業したら、この仕事をキッパリ辞めると決めているから。それまでの辛抱なの」


ブランド品も身に着けず、いつも地味なお洋服を身に纏い、ひたすら稼いだお金を貯めては両親に送金する。

そんな真面目な幸子さんに私は頭が下がる思いでした。


幸子さんの弟達は一人は札幌の国立大学の医学部に、下の弟は同じく札幌の国立大学の法学部に進学しました。


下の弟さんが進学で札幌に引っ越して来た時、幸子さんはご両親と二人の弟達を連れて私のお店に食事に来てくれました。


「ママ、後、数年で私はススキノを引退して田舎の実家に戻れます」

幸子さんはハッキリとした口調で私に言いました。


私は

「本当に良く頑張ったね」

この言葉しか口から出ませんでした。

家族団欒の幸せな姿を見て、それ以上、話したら泣けてしまいそうだったからです。


幸子さんは自分が幸せになるのでは無く家族を幸せにする為に幸子(幸せにする子)と命名されたのかもしれません。


ススキノでは何人もの風俗嬢を見て来ましたが、幸子さんの様に家族の為だけに自分の体を使い稼ぐ人は他に私は出会った事はありません。

中には体が辛いからと覚醒剤を使用する風俗嬢もいたし、大抵は自分の男に貢ぐ為に体を張る女性もいました。

貢ぐのが、その人には幸せな事なのでしょう。


それから何年か経ち幸子さんが珍しくピンク色の口紅を付けて私のお店を訪れました。


「ママ、今、最後の仕事が終わって来週には田舎に引っ越す事になりました。弟達を卒業させるだけの、お金は貯まったし両親と贅沢しなければ暮らせるお金も貯まりました」


幸子さんは、わざわざ私に挨拶に来てくれました。


(当時のススキノの売れっ子ソープ嬢は1億円以上を貯めた人も確かにいました)


そう話す幸子さんは、一つの事をやり遂げた、まるで戦いに勝った戦士の様に勇ましく私には見えました。


「幸子さん、本当にお疲れ様でした」


私は幸子さんをカウンター席に案内して

「私からの、御祝だから好きな物を食べてね」

と言うと凄く嬉しそうな顔をして

「じゃ、ママ、私はお握り2個とお味噌汁が良いです」

と。

どんな時も贅沢をしない、幸子さん。

そんな彼女が私は愛おしく思えました。


私は板前に話して幸子さんの為に、とびっきり美味しい、お握りとお味噌汁を作ってもらい、そこに幸子さんが来る度に必ず注文していた甘めの厚焼き玉子を添えて差し出しました。

厚焼き玉子を見ると凄く嬉しそうにしながら

「美味しい」

と何度も言いながら食べてくれました。


幸子さんは決して家族の犠牲で風俗嬢をしているとは一度たりとも愚痴ったりした事は有りませんでした。

自らが決めて入った世界です。


自分の仕事を卑下したり、悔やんだり、生い立ちを恨んだり、彼女から、その様な感情を見た事も一度もありませんでした。


自分は、いつも質素に、そして仕事は休まず真面目に働き大金を貯めて立派に姉としての役目を果たした幸子さん。


約10年間の風俗嬢の生活に目標を持ち、やり遂げて私には真似の出来ない事です。


お握りと厚焼き玉子を食べ終わると幸子さんは静かに席を立ちました。


「ママ、お世話になりました。これからは私が幸せになります」

と幸子さんの最後の言葉でした。


私は

「そうよ、必ずね!」

と言いながらビルの1階まで幸子さんとエレベーターに乗り私はエレベーターの中で痩せた体の幸子さんを抱きしめていました。


幸子さんは、目に少し涙をためて私にバイバイと手を振りススキノの人混みの中に消えて行きました。


私は幸子さんの姿が見えなくなるまで、しばらくススキノの様々な人達が往来する通りに立ち幸子さんの後ろ姿を見送りました。



私には話せない辛い事、嫌な事、泣きたくなる事が、仕事を辞めたいと思う事など、きっと沢山あったと思います。


その気持ちを言葉に出すと自分の心が折れてしまい、仕事を続けられなくなる事を幸子さんは、わかっていたのだと思います。


風俗嬢は誰にでも出来る仕事では無いと思います。


誰かに甘えてしまえば、そこで夢や目標は一瞬にして消えてしまう。


そうなれば、何の為に裸体になり自分の体、1つで中には嫌いなお客様や嫌なお客様の相手を我慢しながらでも、しなくてはならないのか?

そうなるのを幸子さんは自覚していたから絶対に愚痴や文句は言わずに、ただひたすらに目標に向かって働いていたのでしょう。



幸子さんの弟達も、きっと大学を卒業して一人は医師に一人は弁護士か検事になって幸子さんに感謝しながら暮していると思います。


その後、ソープランドの社長が来店した時に嬉しい話を聞きました。

「ママ、幸子ちゃん覚えてる?田舎でスーパーを営む男性と出会い結婚したんだよ。女の子を授かり、確か名前は幸恵ちゃんだったかな?」


私は社長さんから、幸子さんの話を聞いて本当に安堵しました。

娘さんの名前は「幸恵」ちゃん。


きっと「幸せに恵まれます様に」との願いから命名したのだと私は思いました。


でも、

もしかしたら

「幸せを人に恵む人になる様に」

の意味かもしれないと

ふと、頭の中をよぎりました。



私が又、会いたいと思うススキノの女星の一人です。



−話は続きます−