体は男性に産まれても心は女性

反対に

体は女性に産まれても心は男性

更には

両方を持ち合わせている


小さい頃から

「気持ち悪い!」

「おとこおんなー!」

「化け物ー!」

「オカマー!」

「側に寄らないでー!」


等の言葉を浴びせられて生きてきた人達。


今ならセクシャルマイノリティーの人達と誰もが口にします。

性同一性障害と病名まであります。

戸籍の名前や性別も変えられる様になりました。

同一婚も認知され始めて国会でも取り上げられます。



今の時代は多様性と言う言葉が使われ個性として認められる様にはなり様々な人達が生きやすい時代にはなりましたが、

それでも誰にも話せず悩んでいる人達も中には、います。




誰もが知っている有名なカルーセル麻紀さんは北海道釧路市出身。

カルーセル麻紀さんの時代も、かなり酷いイジメに合ったと何かの記事で読んだ事があります。

カルーセル麻紀さんは自分を偽らず自分に正直に生きてきた、その道の先人です。

先日のNHKで特集が放映された時、今や誰もが知るIKKOさんや他の方の生きて来た辛い道のりを知りカルーセル麻紀さんは、その人達の憧れの存在だったそうです。

モロッコで日本人初の性転換手術を受けてフランス人男性の恋人を連れて日本に帰国した時は沢山のマスコミの注目を浴び時の人になりました。



私が初めて源次郎さんに出会ったのは彼が既に水商売を辞めていて見た目は男性の姿でした。


昭和一桁、産まれの源次郎さんは戦争にも行ったそうです。


そんな源次郎さんが一番、自分らしく生きられた場所はススキノだったのだのでしょう。


私がススキノの門を開けた時は、そのお店は、もうありませんでした。



−マリーと言う名の源次郎さん−


クラブ白鳥(白鳥クラブ)と言う当時は有名店で女性として働いていたそうです。

源氏名はマリー。


美智子妃殿下に憧れていた源次郎さんは本当は美智子と言う名を付けたかったのですが

「恐れ多くて使えなかったのよ」

と私に話してくれました。


私が知る源次郎さんは男性の姿でしたが話し方や物腰は女性の様で私は大好きでした。

特に優しい性格が人を和ませてくれました。

みんなに源ちゃんと呼ばれていました。


「私の時代は本当に辛い事が沢山あったのよ」

と過去の話をしてくれました。


戦争時代、丸坊主にされて男は男らしくが当たり前の日本。

「どんな綺麗にお化粧しても体は女性になれないのよ」

「だからね、私は売上だけは本当の女性に負けたくなくて毎日沢山アルコールを飲んでボトルを空けて売上はトップだったのよ」


その話を聞く度に源次郎さんの

「負けない」

「今に見てろ」

と心の奥にある根性を私は感じていました。



−同じ生き方をしていた仲間と−


札幌では、男性が女性の格好をするのが珍しい昭和40年から50年前半時代に源次郎さんは綺麗にお化粧をし女性物のドレスを纏い働いていたのです。


見た目は、きっと違和感があり白い目で見られた事も数多く合ったと思います。


それでも、人の目を気にしないで自分の生き方を貫き通すには余程の精神力が、あったのだと思います。

「男を取り合って女と掴み合いの喧嘩をした事もあったわ」

と笑いながら話していました。


悲しくて泣いた日もあったはず。

辛くて泣いた日もあったはず。

悔しくて泣いた日もあるはず。



余程の根性が無ければススキノで女性として光、輝く事は出来なかったと思います。



私は源次郎さんの、あぐら姿を一度も見た事はありませんでした。

座る時は決まって横座りです。


町内会で一緒に花笠音頭を踊りました。

振り付けは源次郎さん。

手取り足取り優しく教えてくれました。

懐かしい思い出です。


雨の日も風の日も吹雪の日も

源次郎さんは休む事無くススキノで働いていたそうです。


そんな源次郎さんを病が襲いました。

癌でした。

札幌時計台病院にお見舞いに行ったのが笑顔の源次郎さんを見た最後になりました。



実家は小樽で両親は既に他界されていて兄が実家を継いでいましたが源次郎さんの生き方に大反対で何十年も疎遠にしていたそうです。


葬儀は源次郎さんの住むアパートの一階の大家さんが世話好きな方で親族が出さないならと自宅で葬儀を出しました。

参列者は、ごく、わずかな人でした。


棺の中には死化粧を施された源次郎さんが横たわり体の上に赤いワンピースが掛けられていました。

ススキノ時代の衣装は全て捨てていたそうなのですが、その赤いワンピースだけは残っていたのを大家さんが見つけて棺の中の源次郎さんに掛けてあげたそうです。


私は棺の中の源次郎さんを見て赤いワンピースを着ながらライトに照らされて舞台で舞っているマリーと言う名の女性の姿が目に浮かびました。


きっと綺麗だったのだわ、と。


大家さんが何度も源次郎さんの兄に連絡をして遺骨を引き取ってもらえたと話していました。


今は亡き両親が眠る小樽の海が見える丘の上のお墓に源次郎さんも埋葬されました。


人間は誰しも使命(命を使う)を持って産まれてきます。

その使命はそれぞれの違います。


きっと源次郎さんはマリーの名でススキノの街で光輝きながら女性として生きる為に産まれてきたのだと

今だから私は、そう思えます。


私が知る札幌での、その道の先人は源次郎さんです。


その後、ススキノにはニューハーフのお店も沢山できて、源次郎さんの様な男性が生きやすい時代に変わっていきました。



次は私の親友の隆ちゃんの話を綴ります。



−話は続きます−