私が働き始めてから3ヶ月後くらいに麗子さんは入店しました。

私の初の後輩です。

麗子は本名で源氏名ではありませんでした。

年齢は私より1歳若い麗子さんでしたが見た目は、とても妖艶な大人の女性でした。


麗子さんはクラブは初めてで、それまではスナックで働いていたと話していました。

椿部長さんがスカウトして入店しました。


出勤する時間が同じだったのでお客様が入る前の時間は良く2人で紙ナプキンを折りながら世間話をお喋りしていました。


クラブでは、お席に付く時、お席から離れる時、お客様の前を通る事が出来ません。

例えば三人掛けの椅子の一番、奥にホステスさんが座り真ん中にお客様が座り一番通路側にホステスさんが座るとします。何かで一番奥のホステスさんが黒服に呼ばれたりトイレに行きたい時は履いている靴を脱ぎ手に持ち、お客様の背中側と椅子の背もたれの間を通るんです。

お席に付く時も同じです。

お客様の背中側を

「失礼します」

と言いながら、すーっと通り通路に出ると、さっと靴を履き歩きます。


私は最初その光景が凄く不思議でした。

私はお客様の後ろを通る事がスマートに出来なくてドスンドスンと言う感じで(笑)出来るようになるまで難儀していました。


麗子さんはスナック勤めでクラブは初めてですから、私が一番苦手だった、お客様の後ろを通る話を最初にしました。

麗子さんも

「そうなの?」

と不思議な顔をしながら聞いていました。


入店して間もない日、麗子さんは私に聞いて来ました。

「このお店は日払いはしてくれるの?」

と。

私は日払いの意味がわからなくて

「部長に聞いてみたら」

と答えました。

(日払いって何かしら?)


麗子さんは私から聞いた通り部長に相談していました。


麗子さんは19歳から水商売で働いていて経験が長くて、どのお席に付いても、そつなくお仕事をこなしていました。


お店では明るくてお酒に強い人でしたから、お姉さん達にも可愛がられボトルを空けたい時は決まって麗子さんをヘルプに付けていました。


ただ決して残業はしないのです。

長くなりそうな、お席に付いていても0時になると自分から

「ご馳走になりました」

と言って席を立ちます。


そしてレジのある場所に入り慌てて帰って行きます。

出勤は、いつも7時30分ギリギリにお店に入ります。


ある日、たまたま帰りが一緒になり麗子さんが

「美鈴ちゃん、送ってあげる」

と言ってくれたので私は

「歩いて帰れるから大丈夫よ」

と断りました。

それでも麗子さんが送ると言うので私は麗子さんに従いました。


ビルから外に出ると少し離れたところに白い高級そうな車が停まっていました。

麗子さんは

「美鈴ちゃん、こっちよ」

と私を停まっている車に案内してくれて後部座席のドアを開けてくれました。


車に乗ると運転席には男性が座っていました。

麗子さんは私を男性に紹介してから

「美鈴ちゃん、私の彼なの」

と紹介してくれて

「お世話になっている美鈴ちゃんよ」

と彼に話しましたが彼は無言でした。

何となく嫌な雰囲気が狭い車の中に流れました。

そして車は急発進して私を住まいのマンション前で降ろしてくれました。

私は

「ありがとうございました」

とご挨拶して

別れ際

「美鈴ちゃん、又、明日ね」

と麗子さんはいつもの明るい声でした。


翌日、出勤すると、いつもの様に時間ギリギリに麗子さんはお店に入って来ました。

顔を上げないんです。

私は、どうしたのかしら?と思いながら更衣室から出てきた麗子ちゃんの顔を見ると目が腫れていました。

厚く塗ったファンデーションの下には青いアザが薄っすらと見えました。

「麗子さん、どうしたの?」

と私が聞くと

「私はドジだからタンスの角にぶつけたの」

と。


何事も詮索しないと決めていた私ですから、それ以上は何も聞きませんでした。


その日は、いつになく暇な日でした。

ホステスさんは待機するテーブルの椅子に座りお客様の来店を待っていました。

今の様に携帯電話の無い時代はメールやラインで、お客様と連絡を取れません。

自宅の家電からお客様の会社に電話したり、お店のピンク電話で連絡するしか方法は、ありません。

後は手書きのお手紙です。


椿部長がお店に入ると麗子さんの顔の異変にすぐ気が付きました。

部長は麗子さんを待機している場所から離れたところに呼びました。


暫くして麗子さんは戻って来ました。


その日は土曜日だったので、なおさら暇だったのかもしれません。


10時を過ぎた頃に数組のお客様が来店されましたが私と麗子さんはヘルプに付く事はありませんでした。


待機している席で麗子さんが、ぽつりぽつりと話し始めました。

「美鈴ちゃん、実は昨日、彼に叩かれたの」

私は驚いて

「どうして?私を送ったから?」

と聞きました。麗子さんは

「違うの。彼はお酒を飲むと時々、私を叩くのよ。本当は優しい人なんだけど」

「私ね、お給料を日払いして貰ってるのよね。で、そのお金は毎日、彼に渡してるの」


ススキノは賃金を日払いする制度があります。その日、働いた賃金を、仕事が終わると受け取る制度です。 

でも全額では無くて賃金の50%から70%と各お店で違うと思います。

引受けがあり、ホステスさんに飛ばれると(突然、辞められると)お店側が困るからです。


私は黙って麗子さんの話を聞いていました。

「彼は今、働いていないの。だから必ず私を送迎してくれるの。凄くヤキモチ焼きだから同伴やアフターにも行けないのよ」

「昨日ね、美鈴ちゃんを送った後に住まいの近くの居酒屋で二人で飲んだのね。それから部屋に戻る時、今、働いているのはクラブだから同伴やアフターも、たまには行かなければならないって彼に話したのよ。そうしたら、部屋に入るなり彼に叩かれたの」

と。


日払いの賃金は全部、彼に渡し、挙句の果てに叩かれる。

なんて理不尽な話しだろうと私は黙って聞いていました。


「今まで何回も別れたんだけど、その度に彼が泣きながら頭を下げて謝るから私、彼を捨てられなくて」

と話す麗子さん。


−捨てられない−


別れられないでは無くて

−捨てられない−その言葉に麗子さんの彼に対する愛情の全てを感じ取った気がしました。


麗子さんの話を聞いていると私は胸が凄く切なくなり愛の形は人それぞれなんだと言う事を知りました。


麗子さんは彼が働かなくても、自分の稼ぎのお金を全部つぎこんでも叩かれても彼とは離れられないのです。


愛には

尽くす愛

尽くされる愛

相思相愛

無償の愛など

様々な愛の形があります。

無償の愛(見返りを望まない)は親が我が子に対する愛だと私は思っています。


麗子さんの腫れた目から一筋の涙が流れました。


きっと今の生活は辛いとはずです。

でも彼と別れる方が麗子さんには辛い事なのでしょう。


麗子さんの彼に対する愛は

無償の愛なのかもしれません。



他人は、人の事をアレコレと言う時があります。

でも当事者じゃなければ本当の事や気持ちの奥は、わからないのです。


麗子さんの話だけ聞いていれば彼は俗に言うヒモ男です。

「そんな男と別れなさい」

と言う事は簡単です。


それでも別れられない理由は本人にしか、わからないのです。


麗子さんが流した一雫の涙の意味は

「どうしょうもない男だから私が付いていないと駄目なのよ」

「そんな男でも私には必要なのよ」

「彼の良さは私にしか、わからないのよ」


と言葉に出来ない感情が涙になり流れたのだと思いました。



私が2年後にクラブを辞める日、麗子さんは相変わらず明るい笑顔でお客様を、もてなしていました。



次は元祖ニューハーフの源次郎さんの話を綴ります。


−話は続きます−



☕ブレイクタイム☕


最近の私は凄い食欲で育ち盛りの若い人みたいなんです。

 お米が無くなりそうになりネットから予約しました。山形産のお米。凄く美味しくて又、食べ過ぎちゃいそうです。