祖父が亡くなった。
つい先日、急に連絡が来たところだった、死因は、肺がんである。
ここ最近は
いや、しばらくか会っていない
会話もした記憶がない
思い出そうとしても、まったく頭に浮かんでこない。
しいて言えば入院をしたときに一度見舞いにいった程度だ
それぐらいの関係だった。
理由はある。
母が実家と反りが合わなくて遠い地方へと越して来た、そのためだ。
幼いうちはよく遊びに来てくれた、地方営業の仕事だったので
行った先々のお土産をよく持って来てくれたものだった。
愛犬もつれて、50半ばの男性が国内を走り回っていた。
葬儀は翌々日に行われた。
しんとした雰囲気の中、心なしか空気も冷たく感じた。
母は気丈に振舞ってはいたが、やはり肉親となると悲しみは計りしれない。
叔母、叔父との関係はいいようで集まっては思い出話をしていた。
僕には、祖父に関する記憶が薄い。
葬式とは死者を送り出す儀式だ。
そこには当然悲しみに溢れた涙が顕れる。
自分は泣くのだろうか?
記憶がないのに?
ごちゃごちゃと考えてはいたけれど、初めての葬儀で緊張やらなんやらで
気持ちは落ち着かず、すぐにその時が来た
涙が流れた
不思議に、自然と。
思い出す記憶はないが、胸のうちから込み上げる感情は悲しみだと
その涙が告げていた。
後日、祖父の形見であるカメラを受け取った。
同じ趣味を持つのは偶然にも、関わりの薄かった僕だけだった。
やはり趣味程度のもので大した知識もなかったが
受け取ったそれは、年季が入っているものの
レンズでは映せない色んな場所へ駆けていった
そういった記憶がにじみ出るかのような、よく手入れされたものだった。
「もっといいもの持ってるよ」
苦笑交じりに呟いた
当然年代もののためそういったデジタル機器は
最近のもののほうが性能はいい。
しかし、手に収まるそれはそういった価値のあるものではなかった
そこには確かに共に過ごせなかった時間を埋めるほどの
祖父の記憶が残っていたように思う。
また、少し泣いた。
母の地元を離れる前に、祖父が好きだったという場所に来た。
それは実家から車で15分ほどの場所だった。
目の前を埋める黄色い花タンポポ畑である。
空の青、雲の白、タンポポの黄色と緑
それらの織り成すコントラストはまさに見事といったものか
「すごいな」
思わず呟いた。
それは真夏で、せみの声が響いていた。
大きな入道雲が1つ
そういったシンプルな構成が僕の心を奪った。
ぼーっと立ち尽くしていた
祖父のカメラを右の手に持ちながら。
こいつで映してやれば、天国の祖父も喜ぶのかな
ふと思った。
きっとそれは僕と祖父との最後の思い出となる。
祖父のカメラで、僕が撮る
母が隣で見守る中
使い古されたレンズは景色を捉えた。
これは祖父の目だ。
当然のことながらレンズは目の前の光景を淡く映し出している。
僕の目もまた、同じ景色を鮮明に焼き付けたのであった。