活動初期は音楽で稼ぐことはおろか、ライブのチケットノルマや会場代などがただただ嵩み、生活をしていくのに必死だった。
一生懸命仕事して、その中でライブして、夢を掴むためにと日々がむしゃらだった。たくさんバイトして、稼いだお金は全て思い切って音楽に注ぎ込む、そんな生活。
当時の職場は、本当によい仲間に恵まれてた。
たくさん応援してくれた。
役者志望の職場仲間なんて、舞台稽古の合間に俺のライブに来てくれたこともあった。
その応援に応えるように働いていた結果、バイトという身でありながら、いつしかお店の店長代行として働いていた。(狭い世界での話w)
しかし上の者に一方的に排他的扱いを受けて、職を失い、路頭に迷い、生活は追い込まれた。
忘れもしない、2014年4月から7月にかけての出来事。
その人に自分が求められることは何だろうとかそういう次元ではなかった。
人はこれほどまでに冷酷になれるのだろうかと、身をもって体験した出来事だった。
それからというもの、毎日生きるのに必死だった。
新しい職を見つければよかったという話なのだが、その当時、ライブやスタジオがたくさん詰まっていた。
そんな時に限って、12ヶ月連続ライブしており(よせばよいのにww)、そしてバンドワンマンが迫っていた。
親しい仲間や先輩に、今の状況を明かせるほど余裕がなかった。
と同時に、このままいけばお金はこの日までにはなくなるという恐怖感にも襲われていた。
サポートしてくれてた、小野くんと山下さんにはかろうじて話してた記憶がある。
財布の中身をみたら、会場までの交通費すらなく、早朝に日雇いバイトしてから会場にたどり着いて、CD売ってなんとか凌いだ日もあった。
そして食事は、日雇いで転々とする中、先々で雇ってもらったコンビニの廃棄で食いつないで、なんとか生きていた日々。
当時は本当にきつかった。
けれど、その当時の苦しみがあるから、今の幸せがより強く尊く感じます。多少の悩みは大丈夫。
二足のわらじにしたのは、その際、職があることがどれだけありがたいかを強く痛く感じたからでもあります。
まず好きな音楽をどうやって責任持って続けていけるか。
余裕がなさすぎて、正直ライブするのがやっとだったと思う。
最近嬉しかったことはなに?という質問に対し、こんな日々を乗り越えて、「今」があることを実感できることと回答しました。
ちょうどそんな辛い時期を乗り越えようとしていた頃を、少し思い出したと同時に、まだまだ頑張れちゃうなと思ってたりします。