1月29日
朝のウォーキングから戻り
シャワーを浴びていると電話が鳴った。
ディスプレイには
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熊本からだ。
誰だろ?と思いながら受話器を取ると
「お久しぶりです、先生。○○の母です。覚えてらっしゃいますか?」
忘れるはずはない。
私が塾を始めた時の、塾生第一号の子だ。
『もちろん覚えてますよ!○○ちゃんのお母さんですよね?いや~お久しぶりです。』
返事がない。
『・・アレ?もしもし?お母さん?どうされました?』
「先生、実はあの子が・・・」
私は大切な事を忘れていた。
その子は
先天性の病気を抱えている子だった、という事を。
中学生の頃は、それでも元気だったが
2年程前から徐々に悪くなり、いよいよ
らしかった。
「先生、お忙しいとは思いますが、よかったら○○に会いに来てくれませんか?」
『わかりました!すぐ行きます。』
嫁に事情を話し、車で病院へ向かった。
車中、忘れかけていた様々な出来事が、頭の中を駆け回った。
入塾の手続きが終わり、先生達と泣きながら抱き合った事
合格通知を貰えず、一緒に涙した事
入学式の後、家族で来てくれた事
短大に合格し、お父さんから感謝された事
成人式の日に振袖で家に来たのも彼女が最初だった。
あれから歳月は過ぎ
年賀状、暑中見舞等程度の付き合いになっていった。
病院に着き、母親と会い簡単な挨拶を交す間も無く、病室に連れていかれた。
そこは機械の金属的な音が支配している空間にすぎなかった。
「○○、先生が来てくれたよ。」
『○○』
私は、その子の名前を呼ぶ事しか出来なかった。
ただそれしか出来なかった。
御両親と外に出て、最近の様子から昔話まで色々な事を話した。
「先生、あの子先生の事が好きだったんですよ」
『そうだったんですか』
「お父さんが、心配するぐらいだったんですよ」
短い沈黙の後
「まだ27歳なのに・・・」
母親の絞り出す声に、父親の鼻を煤る音が重なる。
その夜、父親に連れられて街に出た。
娘の事以外に共通点などない私達が、話した内容は、政治と金の事だった。
お互いがお互いを気遣いつつも、酒を潤滑油になんとか歯車は回っていた。
別れ際、
「来てくれて本当にありがとうございます。何も言わず、駆け付けてくれた事が、本当に嬉しかった。あの時、娘を彼方の塾に通わせて良かったと、やっと今思えます。」
栄通りの道端で、オジさん二人が泣きながら、ガッチリ握手をしていた。
鶴屋前でタクシーに乗り、電車通りを右折した時、父親の携帯が鳴った。
1月31日
塾生第一号の生徒が
静かに
息をひきとった。
出棺を見送り、バスに乗り火葬場へ。
小さく白い彼女は、すっぽりと母親の両腕に抱かれた。
「最後までありがとうございました。」
父親が私に歩みより、封筒を手渡された。
写真である事はすぐに分かった。
帰り道は、ただひたすら前を見て運転した。
塾に着き、授業の光景を眺めていた。
真剣な顔。
不安な顔。
様々な顔。
その顔々を見ながら、とにかく悔いの残らない人生を送って欲しいと願った。