先日、懇意にさせて頂いているブログ友さんのブログの記述内容に
大いに共感するところがあったので改めて思う事を記述します。
字体が小さくて見づらくなっています。
お許しを。
ブログ友さんの記述の概略は第二次大戦に関して個人的に
納得出来ない、いくつかの件である。以下列記。
① 米国は何かにつけてパールハーバーを持ち出す件。
② ユダヤ人のビザを発行した杉原千畝とシンドラーの件。
③ 意識調査の件。
時間が許せば個人的に、さらに以下の件を列記します。
④ 特別攻撃隊。
⑤ 沖縄の悲劇。
⑥ 戦後の混乱。
⑦ マッカーサー。
⑧ 東京裁判。
①のパールハーバーの件ですが、ブログ友さんも怒りを
あらわにされていることですが、第二次大戦(当時日本は
大東亜戦争と呼んでいた)における日米の戦いのきっかけ
は全てパールハーバーが原因であるとの米国側の発言。
つまり悪いのは日本だ。
と、何かにつけてパールハーバーを持ち出すことに強い
憤りを感じるということです。
以前、何かの本で読んだ事ですが、パールハーバーに来た
日本人旅行者に対して米国の案内者が叫んだ。
「リメンバー パールハーバ」と。
日本人旅行者はポカーンとしていたとか。
僕ならすかさず 「リメンバー 広島 アンド 長崎」 と叫ぶね。
総じて日本人はアメリカという国に対して肯定的である。
正義感が強く、金持ちが多く、軍事大国であり、世界の
リーダーと考えている。
確かにその事に対してはその通りであろう。
しかし、である。
その一面、米国は日本人が考える以上に老獪で自分達が
他国からどのように見られているかを常に気にしている。
意外と気難しいようである。
米国は第一次世界大戦以降の多くの戦争や紛争に関与して
いる。
そして関与した割には米国本土が戦いによる被害の対象に
ならなかった為に被害を受けた相手国の本当の痛みがわか
らないように見える。
殆ど、ただ一度の米国本土の被害といえば、日本軍による
ハワイ島の空襲と北米のオレゴン州地域に到達して数名の
被害者を出した風船爆弾くらいである。
しかし殆ど一回だけの真珠湾攻撃で米国が見せた行動は
当時のルーズベルト大統領の議会での演説を見れば分かる。
当時、米国は1935年制定の中立法という中立の立場をとる
法律があった為、1939年に始まった第二次世界大戦には
参戦していなかった。
日本はといえば、この時代、日中戦争の真っ最中であり、
長期化する日中戦争を打破すべく三国同盟(日本、ドイツ、
イタリア)を結ぶ。
そして、この機に乗じて日本は東南アジアに進出した。
日本の三国同盟や東南アジアへの進出は米国にとっては
好まならざる状況になった。
ドイツとイギリスは交戦中であり、イギリスへの支援をしている
米国にとってドイツと同盟を結んだ日本は警戒する国となった。
加えて、東南アジアへ進出したことで米国、イギリス、フランス、
オランダ等の植民地や利権が損なわれる可能性が出てきた。
この状況下、米国がとった日本への行動は石油の輸出禁止
処置であった。
日本の生命線となる石油の輸入禁止は日中戦争の遂行にも
大きく影響する。
日本政府は米国との交渉を試みるが、到底受け入れる事の
出来ない要求を突き付けられ、結局日米交渉を打ち切る。
こうして先に記述したパールハーバーへの悪夢が始まる。
1941年12月8日の真珠湾攻撃で米国は太平洋戦争(これは
アメリカ側の呼び名で日本は大東亜戦争と呼んだ)へと突入し、
三国同盟によりドイツ、イタリアも米国へ参戦する。
これにより米国が第二次世界大戦に参戦することになった。
こうして米国は日本の真珠湾攻撃でそれまでの中立政策を
破棄して参戦することになった。
米国民を納得させる口実が真珠湾攻撃で可能となった。
これが先のルーズベルト大統領の議会での演説に繋がる。
ブログ友さんも指摘されているように、これ以前米国は日本
政府の在外宛ての電文を既に解読していた。
従っていずれ日本軍による米国への攻撃があることは事前に
把握していたが当然のことながら極秘扱いにしていた。
そして先制攻撃をさせ、国民の参戦意欲を高めた。
老獪である。
この先制攻撃を取り巻く状況に関しては現在では周知の事
として考えられるようになっている。
つまり米国が日本の参戦を知りつつも国防上極秘扱いにした。
米国はこのことには口を閉ざして認めていないようである。
真珠湾攻撃に限らず米国は自らの地を攻撃されると直ちに
反応して対処している。
その一つの例が9.11の同時テロである。
ブッシュ大統領はすかさずイラク戦争に突入している。
色々理由をつけて。
現在の世界のパワーバランスは一昔前のような米ソのみでは
なくなり、パクス・アメリカーナは衰退している。
そして、中国の台頭や以前にも増して核保有国が増えて混沌
としている。
加えて弱体化した米ロの軍事力の隙をついてIS(イスラム国)
のようなテロ集団が暗躍するようになっている。
また各地においても大小さまざまな争いや紛争が続いている。
シリア内戦しかり。
イラクにおける果てしない爆弾テロしかり。
また、ウクライナにおけるウクライナ軍とロシア寄りの軍
(親ロシア派)との戦いでは欧米対ロシアとの対立となり、
極めて危機的状況下にある。
太平洋戦争前のような米国の老獪な関わりは御免であるが
それでも中国やロシアなどような国よりはましであると個人的
には思える。
とりあえず中国が本気で日本に戦争を仕掛けないのはやはり
バックに米国という国がついているからであろう。
但し、領有権問題で不測の事態が発生した時、本当に米国が
後ろ盾になってくれるかは分からない。
何しろ原爆保有国であり、何百万人もの軍隊組織の中国と
まともに戦うほど米国はお人良しとも思えない。
米国領土が襲撃されれば別であるが。
②の杉原千畝氏に関しては日本のあるいは東洋の
シンドラーと呼ぶことにブログ友さんは違和感を強く感じて
いる。
シンドラーとは映画 「シンドラーのリスト」 でも
知られるようになったドイツ人実業家シンドラーのことである。
シンドラーはユダヤ人の救出を行った。
一方の杉原千畝はバルト三国の一つ、リトアニアのカウナス
領事館に赴任していた外交官であった。
当時のヨーロッパはナチスがドイツの政権を掌握し、その
強固な軍事力で各地に転戦し、支配下に置いていた。
そしてユダヤ人撲滅のスローガンの下、支配下に住居する
多数のユダヤ人の活動を制限し、更には収容所に集め、
そこで虐殺が始まった。
このような状況下にあったユダヤ人達は生き残るべき
行動にでた。
命の危険がないアメリカ等への脱出を図る。
脱出の行動を行わずその地に留まればいずれゲシュタポ
等の知るところとなり、急襲され収容所に行くことになる。
このような状況下、ナチスからの迫害から逃れる為、多くの
ユダヤ人達が米国への入国を始めた。
多くのユダヤ人がシベリア経由で日本に行き、そこから
米国に向かった。
日本経由でもある為、日本のビザが必要となり、杉原の
領事館にビザを求めて多数のユダヤ人達が押し寄せた。
当時、日本はナチス政権下のドイツとは同盟関係にあり、
この関係に差しさわりを生じさせることは出来ない状況で
あった。
杉原の職務は本国外務省の訓令に従う一外交官であった
ので規定外の職務行為は命令違反に該当するものであった。
領事館には着の身着のままの多くのユダヤ人達が来たが
その多くは渡航費等の金銭を持ち合わせず、この事が
中継地の日本では米国への渡航を認めることが出来ない
状況となっていた。
本国外務省からもビザ発給を控える旨の訓令があった。
押し寄せるユダヤ人難民のビザ申請を断れば事はそこで
終わったはずである。
しかし杉原は違った。
命令違反を承知でビザ発給を行った。
何よりも人命救助が第一と考えた。
人種の違いなど関係なかった。
困った人を見過ごす事が出来なかった。
この行為が先々、家族を含めての困難が予想される事を
承知で連日連夜ビザ発給を行った。
杉原の奥方もこの事を承知で夫を支えた。(後日談)
ビザ書類は手書きが多かった為、ペンは傷み、彼の腕も
痛みに悲鳴を上げた。
そして事態は悪化し、領事館を閉鎖し、リトアニアを出国
せざるを得なくなった。
出国する為の汽車の中でもビザ発給を行った。
ついには発給が出来なくなり、汽車の窓から頭を下げて
発給出来ない事をユダヤ人達に許しを乞うた。
発車した汽車に向かってユダヤ人達は泣きながら礼を
言い、杉原の名を呼びながら追いかけた。
そして又会いましょうと叫んだそうである。
杉原のこの困難な状況下での働きで約六千人もの命が
救われた。
一方のシンドラーは自身の軍需工場で働くユダヤ人達
千何百人かの命をナチスより救った。
ドイツ人でありながら危険を冒してユダヤ人を救った事
が後日、称賛されたのであろう。
ブログ友さんはこのドイツ人のシンドラーと比較される
日本のシンドラーとは大きな違いがあると述べています。
すなわち、かのドイツのシンドラーは自身の工場運営の
為からでた救出であり、杉原のように損得無しでむしろ
後日、困難が待ち受けていることを承知で行った善意とは
次元が違うということである。
同列にシンドラーと呼んでほしくないということである。
後日、杉原は外務省からは命令違反とされ辞職に追い
込まれた。
しかし本当に辞職されるべき人間は別にいた。
本国外務省からの極秘電文を遅れて解読し、結果的に
米国への戦争通達を遅らせた外交官である。
この遅れが通告しないままのハワイへの奇襲攻撃と
なった。
今でも米国からは卑怯なだまし討ちとして、事あるごとに
パールハーバーが持ち出される。
そして国の命運を左右する極めて重要な外交を満足に
果たせなかった件の外交官は後に外務省に戻り、
なんと出世したそうである。
何ともはらわたが煮えくり返る思いである。
同じ外交官である杉原とはなんという違いであろうか。
但し、杉原はずっと後年になって名誉を回復した。
又、杉原のビザのおかげで生き伸びたユダヤ人達は
杉原の置かれた困難な状況下でのビザ発給を
後年知るところなり驚愕したそうである。
後年、体調のすぐれない杉原に代わって彼の息子が
イスラエルに招待され、厚く感謝された。
イスラエル政府は戦後、ずっと杉原の消息を探していたが
杉原がユダヤ人に伝えた彼の名前が外務省に無く、
苦労したそうである。
杉原の名の千畝(チウネ)は呼びづらい為、彼はあえて
「センポ」 とユダヤ人に伝えた。
このことでイスラエル政府は彼の消息を探し当てる
事に時間がかかったそうである。
杉原の任地リトアニアの首都には 「杉原通り」 という
通りが置かれているそうである。
③の意識調査の件でブログ友さんは日本にとって重要な
日を知らない人が多くいると記述しています。
例えば 「東京大空襲の日」 、 「広島の原爆投下の日」、
「長崎の原爆投下の日」 、 「終戦の日」 等々。
それぞれ三月十日、八月六日、八月九日、八月十五日
である。
ところがもっと悲惨なことがある。
テレビ番組で同じような調査を見た時のことである。
特に若い人の中に日本がアメリカと戦争をしたことを
知らないと答えていた。
これでは日付の知る知らないどころではない。
すべての若い人がそうではないとしてもあまりにも
一般的常識が無さすぎるのである。
心配なのは今後このような傾向が増えるのではないかと
いう危機感である。
このような状況が続くと、竹島や尖閣諸島、果ては
北方領土までが日本の固有領土であることも忘れ
さられ、周辺諸国の領土と言われても気にする事も
なくなる危機的状況が生じる。
記述が長くなりました。
ですので④から⑧は別の機会に書くことにします。
お許しの程を。